2011年03月17日
普天間基地問題を終結しよう

未曾有の災害に見舞われた東北地方の惨状を知るに付け、普天間基地問題のあまりの小ささを恥ずかしく思う。
「世界一危険だ」という普天間基地より、もっと危険な地域が有った。
「本土から基地を押し付けられ差別だ」と主張してきた根拠は幻想に過ぎなかった。
原発を抱える地域は普天間基地より、何千倍もの危険を押し付けられている。
半径30kmの避難区域を仮に普天間基地にあてはめると、喜屋武岬から万座ビーチ先まで沖縄本島の南半分がすっぽり収まる広さである。
普天間基地移設など、この惨状と比較すれば、全く、不要不急の問題にすぎない。
普天間基地を辺野古や県外に移設する費用は少なくとも1兆円を超えるだろう。
そんな費用を請求したら、それこそ沖縄県民は、「ゆすりの名人」として世界中から笑いものにされる。
今こそ、断固として普天間基地移設を断念し、浮いた予算を、被災者救援に使わねばならない。
しかも、我々が知ったのは、このような災害に対する自衛隊や在日米軍や各国の救援隊の大事な役割である。
米軍基地は災害救助のためにも必要である。基地の役割は軍事力を抑止力として利用するだけではない。
各国の救援隊が続々支援に繰り出して来るように、被災者を救助するのがどんな国にも共通のコンセンサスとなっている。
そうであるなら、災害救助をメインにする基地なら、多くの国民の安心と本当の平和をもたらす大事な役割を担えるではないか。
「基地があることで、戦争に加担することになる」といった偏見、「兵士たちは、人殺ししかできない犯罪人」という積年の偏見を払拭しよう。
そして、米軍基地と協力し、県民が一丸となって、多くの国の被災民を救うために尽力するという、本当の平和運動に目覚めよう。
2010年06月07日
沖縄が差別されていると「怒」る公務員労組
公務員労組を中心とした基地撤去派の運動家やそれに追従している政治家は、「米軍基地の過重負担を押し付けられ、ヤマトから差別されている」と怒っています。
鳩山前首相を口汚く罵り、退陣させた後も、相変わらず、この差別論理を主張するようです。
その論理では、基地に恩恵などが無く、基地は被害だけをもたらすものと偽装する必要があります。
その観点から、琉球新報などの反基地偏向マスコミはとんでもない記事を書きます。
<補助金・交付税額>受益額最多は「誤解」
要約:
「沖縄への国庫支出金は1人当り110,694円で第2位,地方交付税は144,149円で第16位、両方を合わせた合計254,843円は全国8位で、他県と比べて沖縄が突出して、優遇されているとは言えない」としています。
この記事は、「国の補助金は基地が有っても大した額で無いので、基地を撤去して、その跡地利用すれば、もっと経済発展するはず」という考えに誘導することを目論んでいます。
琉球新報のこのようなあくどい狙いを見抜かねばなりません。
この表は単に、一般予算の数字に過ぎません。
ここにある国庫支出金とは、生活保護の補助金や国道などの整備費に充てられる費目で、基地とは無関係に、他の自治体にも交付されるものです。
(但し、道路などの補助基準は沖縄が他県より高いため、面積の小さい沖縄が全国2位になっています)
この一般予算の総額は6000億円程度なので、この枠での国庫支出金は1500億程度ですが、これとは別に、米軍基地関連の3877億円もの特別の予算が加算されることを、琉球新報は意図的に隠しています。
以下がその2つの予算です。
1、H22年度 内閣府沖縄担当部局予算案 2,298億円
説明:沖縄県経済の概況(平成22年3月)
同:「沖縄の自治体財政と国の財政支出」
にも解説されている。
2、防衛省関連の予算 H22年度1,579億円
説明:在日米軍駐留経費負担について
別資料1:
別資料2:
無論、防衛省関連は、軍用地など個人が支給対象になっているものも含まれていて、場合によっては、県外に居住しているケースもありますが、固定資産税は県内に落ちます。
この2つの交付金を合計すると、一人当たり54.1万円となり、島根の36.5万円をはるかに超えて断トツの1位になります。
なお、一般予算の国庫支出金と違い、国(沖縄総合事務所・沖縄防衛局)の完全直轄事業となるので、県からの一部負担も県債発行も必要ありません。
しかも、これは支給される額ですが、実は、県民へのメリットは減税も考慮しなければなりません。
例えば、ガソリン1リットルに付き7円分、沖縄県民は減税されています。那覇ー羽田の燃料税は半額です。沖縄電力の燃料用重油にかかる税金も減税されています。また、観光ホテルなどの事業費などにも減税があります。これらは以下のURLに書かれています。
沖縄振興特別措置法のあらまし(H14-H23)
さらに、もっと見えない恩恵・特別待遇もあります。
例えば、「沖縄都市モノレール」の建設費の半額618億円は国庫無償補助でした。
本土では、国鉄が民営化してから、このような多額の国の補助を受けている交通機関は皆無です。(航空会社と新幹線は別)
なお、この国庫補助を受けても、県などの借入れの償還もままならず、現在のモノレールの経営状態は赤字です。
「美ら海水族館」は、国営沖縄記念公園という、国土交通省所管の施設です。(首里城公園も含まれます)
国営公園は現在17ありますが、「美ら海水族館」は世界一の技術の粋を尽くした破格の施設です。
他の国営公園は、ほとんどが自然の丘陵や河川などの自然景観を見て楽しむ程度で、こんなに大きな投資をしている所はありません。
「美ら海水族館」のような観光スポットも国のてこ入れが無ければ維持すらできません。
観光産業も実は国の補助金に支えられています。
ちなみに、沖縄子どもの国や名護ネオパークという沖縄自前の動物園施設は経営破たんし、基地関連予算による国庫補助の支援を受けて、ようやく再建途上となっています。
沖縄が独自に建設できる、まともな施設など何も無いという現実を知るべきです。
参考:他の国営公園の姿:
なお、前述の防衛省予算の中に「思いやり予算」がありますが、その使途の大部分が、軍雇用員給与や光熱費などに充てられています。
この光熱費について、基地反対派は「軍人は留守中もエアコンを入れっぱなしで、電気を使い放題だ」という非難を浴びせることが多いのですが、留守中にも除湿のためにエアコンを付けていないと、高温多湿の沖縄では、部屋中カビだらけになり、返って維持費がかかるということや、また、電気代の支払先が(株)沖縄電力であることを忘れています。
沖縄電力に思いやり予算がなければ、採算が採れず、今の電気代より10%以上の値上げが必要になります。
「思いやり予算」は実際は、米軍のためではなく、県民と県内企業のために支払われているのです。
「沖縄に75%の米軍基地が集中し、過重負担を押し付けられているのは差別だ」と憤っている厚顔無恥な姿が全国のTVで流れています。
残念ながら、県民の多くは、恩恵を受けているという「逆」差別の実態を知りません。
しかも、デモなどで「怒」というプラカードを掲げて基地撤去を主張している連中の大部分は、那覇や南部の公務員労組なのです。
そんな地域には基地被害などありません。被害がないのに差別されているといって、自治体に押しかけ、恐喝するのが同和団体です。
本当は差別の実体など無いので、同和団体が自分で差別を捏造し、騒ぎ立てています。公務員労組と一体化している場合もあります。
同和団体など、真っ先に事業仕分けして完全に解体廃止すべきです。
この横暴な同和団体については、NETで「同和、マッチポンプ、エセ同和」などで検索すれば情報が得られます。
以下の場所にも一部、載せておきます。
資料1:
資料2:
2010年05月16日
参考サイト紹介
このサイトの関連サイト及び反響・引用サイトを紹介します。
追加No.1, 沖縄を中心に活動する7人組バンドNEW TOWNERのドラム担当 Dr.CUEのブログ
ミュージシャンの普天間問題についての思いとそのファンのコメント。若い人の本音がよくわかります。
No1, 米軍基地の種子島 移設案
経済的観点から基地撤去で沖縄経済が破綻することを述べています。
例えが秀逸で分かりやすいです。
No2, Yahoo知恵袋の質問から
鹿児島で受け入れないのは鹿児島県民の身勝手ではないかという質問から様々な回答(意見)が出てきます。
No3, Yahoo知恵袋の質問から
沖縄県民のことを猿扱いしている差別主義者の質問です。
本土の人間が全て「沖縄県民が基地負担を負わされて可哀想」なんて思っていないことが分かります。
No4, Yahoo知恵袋の質問から
No3と同じように「沖縄県は基地負担を当然負うべきだ」という質問です。
No5, Yahoo知恵袋の質問から
都内の米軍基地がある市に住んでいる人の素朴な意見です。他県での米軍基地と沖縄での違いなどが分かります。
No6, Yahoo知恵袋の質問から
普天間問題をめぐるマスコミ報道についての質問です。
この質問のベストアンサーに選ばれた意見は沖縄県民の方で、県民のナンクルナイサに警鐘を鳴らしています。
No7, Yahoo知恵袋の質問から
No5 と同じように、他県の米軍基地との比較で沖縄の反対の過熱ぶりへの質問です。
この中で基地反対の沖縄県民の意見も載っていますが、言葉づかいが悪くて反感買いそうです。
鳩山首相に罵声「この嘘つきヤロー」などと言って県民全体の品位や信用をおとしめている反対派の人が書いているのでしょう。
No8, Yahoo知恵袋の質問から
基地撤去後の経済についての心配です。
No9, OKWaveの質問から
普天間第2小学校の移転についての問題から。
No10, OKWaveの質問から
普天間基地の基礎的質問。
No11, 渡久地 明の時事解説
普天間基地移設問題について、渡久地さんに公開討論申込みました。コメント欄でそのやり取りが掲載されています。
No12, 宜野湾市議会議員 呉屋等のブログ
コメント欄で、基地周辺の住民移転について、質問してみました。その回答などが掲載されています。
他にも、WEBで、「普天間基地」「沖縄米軍基地」などと検索すれば、色々出てきますが、その多くは、沖縄から基地を撤去すれば、沖縄の過重負担軽減になると信じて疑わないものがほとんどです。時たま、沖縄に基地が必要という意見もありますが、多くは、右翼的主張で、米軍基地を撤去すれば、中国共産党軍が沖縄に攻めてくるというような論調になっています。いずれにせよ、どのような意見があるのかを知ることは大切ですので、勉強されることをお勧めします。
今後の掲載予定。
1、なぜ、沖縄マスコミは基地反対一色になっているのか。
2、基地返還跡地開発の幻想を詳説する。組合御用達の経済学者の跡地バラ色論批判。
3、米軍基地を国連災害救助隊基地に変えるという理想とその道すじについて。
4、沖縄に残された、唯一の経済発展策を具体的に提示。
ただし、当方の事情により、上記を文章化する時間が中々取れません。
遅々としたブログ更新になると思いますが、ご了承お願いいたします。
2010年05月13日
住民移転をタブー視する、基地反対派
基地移設より、住民移転という方法が、なぜ、政府やマスコミに広がらないかを
不思議に思っているのだが、その住民移転というのが、沖縄の新聞ではタブー視されている感がある。
それは、平野官房長官が住民移転の案を例示として出したら、沖縄タイムスが異常な反応をしていることで推論できる。
政権認識に失望 普天間住民移転発言 沖縄タイムス2009/12/10
「例え話だとしても口にすべきではない」「あまりに認識が低すぎる」―。米軍基地をめぐる沖縄の負担軽減策の一例として、平野博文官房長官が普天間飛行場周辺の住民移転を挙げたことについて、関係者は一斉に反発した。移設問題に関する日米間の駆け引きが加速し、今後も沖縄が基地との共存を強いられるのか命運が掛かる重大な局面。“荒唐無稽(こうとうむけい)”にも映る平野長官の発言は、県民の感情を逆なでにした。
普天間爆音訴訟団事務局長の高橋年男さんは「ここに人間が暮らしているという現実をあまりにも軽く考えている。沖縄戦で土地や家を奪われた人々から、またも住む所を奪うのか。まるで別世界の人間の発言としか思えない」と批判。「新政権には期待していたのにがっかり。言葉もない」と失望感をあらわにした。
普天間飛行場滑走路の延長線上にある宜野湾市上大謝名自治会の大城ちえ子会長も「住民はずっと騒音に苦しんで生活してきた。国は何も解決してこなかったのに、住民に出て行けというのはあまりにも無責任な発言だ」と怒りをにじませた。
「例に挙げること自体が県民に対して失礼で、まったく理解できない。沖縄のことを何も知らないのではないのかと疑いたくなる」と話すのは、米軍ヘリが墜落した沖縄国際大学の照屋寛之教授。「安保のために昔からある地域社会を破壊することなど許されるはずがない。県外移転を真剣に考えるべきだ」と糾弾した。
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この沖縄タイムスの記事で明らかにされた点に反論を述べよう。
「ここに人間が暮らしているという現実をあまりにも軽く考えている。沖縄戦で土地や家を奪われた人々から、またも住む所を奪うのか。まるで別世界の人間の発言としか思えない」。
「沖縄戦で土地や家を奪われた」という形容は言いすぎだろう。奪われたのではなく、普天間基地として貸しているのである。莫大な軍用地料をもらっているはずである。無論、契約したつもりは無い、あくまで不当占拠だと言い張ることは可能であるが、そのような主張は多くの人の納得を得られないだろう。
「またも住む所を奪うのか」これもおかしい。住む所を奪うのではない。住む場所を変えるのである。
例えば、「自分の家のそばに国道があり、騒音がひどい」という理由で、「道路を封鎖して、車が通行できなくする」とか「別の迂回路を作るか」という主張を認める訳にはいかないだろう。普通は、立退き補償、つまり住民移転となり、差し止めが認められないのが当たり前である。
「まるで別世界の人間の発言としか思えない」危険や騒音があるから、転居を勧める。そういう行いが、何故、このような非難を受けるのか。理解に苦しむ。転居など論外で、基地を撤去することだけを認めよというわがままこそ、何様のおつもりかと感じてしまう。耐え難い被害だとを主張する人の隣で、その被害を了承して転入してきた人も多くいるのである。
「住民はずっと騒音に苦しんで生活してきた。国は何も解決してこなかったのに、住民に出て行けというのはあまりにも無責任な発言だ」
先に述べたように、8割の住民は騒音があることを承知で、転入してきた。騒音よりも、そこに住む利便性の良さを選んだのではないか。
全く予想されない騒音被害を蒙った訳ではない。本土でも、国道沿いや鉄道線路沿いに住む住民は被害を受けている。多くの場合、その被害があっても移転補償まで認められるのは稀である。産業という便益のためには、ある程度の騒音や危険は避けられない。その暗黙の了解がなければ、社会生活が成り立たない。
「住民に出て行けというのは..」この言葉に、「本当は出て行きたくない」という願望が潜んでいると思われる。
本当に、危険で騒音がひどく、一刻も早く逃れたいという心理状態なら、「出て行かされる」とは感じないだろう。
つまり、本当に逃げ出したいほど被害を感じている人は「こんな騒音のひどい所に、閉じ込めておいて、国は何も解決してこなかった。早く、ここから出してほしい」となるはずだろう。つまり転居したいという願望になると思う。
「本当は出て行きたくない」という願望があるのは、ここに住むことに、既に、多くのメリットを感じているからであろう。
それは、裏を返せば、騒音や危険が有っても、ここでの生活を全否定するような大きいマイナスではないという気持ちの表れだと思う。
この実感を裏付ける、高校生の気持ちを表しているのがここ。
つまり、「そんなに大きな被害とは感じていない、つまり転居するほどの被害ではない。でも、騒音はいやなので、無くして欲しい。」という本音が表れていないか。
無論、住民の気持ちや被害感情などは、本人でしか分からない。他人が我慢できるレベルでも、自分には我慢できないと感じるかもしれない。だからこそ、移転希望の有無を直接、確かめて、個々に対応できる方法こそが望ましいのである。
基地撤去を望む人、自分が転居するだけで良いとする人、あるいは少しの慰謝料が有れば現状でもかまわないという人までいろいろと違うかもしれない。それぞれの方法にどのような長所と短所があるかを説明資料を見ながら判断して、個々人の希望を集約することこそ、合理的で民主的な方法ではないか。特定の政治主義に基づいた団体が、目立つデモを行い、その団体だけの主張で決定されるというのは、民主主義の欺瞞であろう。
「例に挙げること自体が県民に対して失礼で、まったく理解できない。沖縄のことを何も知らないのではないのかと疑いたくなる」
この照屋教授にお聞きしたい。私は県民だが、【例を挙げること自体】がなぜ失礼なのかまったく理解できない。県民の間に、住民移転について聞いてはいけないという、そんな慣習なり合意があるのだろうか。
そんな、慣習なり合意は何時、どこで、誰を対象に、どのように決まったのであろうか。
「そんなことも知らないのか」と声を荒げることこそ、その相手に大変、失礼だろう。沖縄の将来を決める大事な問題である。沖縄のことを知らない人には親切にお教えするのが、守礼の邦の民としてわきまえる礼儀だと思う。
「安保のために昔からある地域社会を破壊することなど許されるはずがない。県外移転を真剣に考えるべきだ」
この脈絡もおかしいだろう。
どうして「安保」が出てくるのか、移転は「危険除去」のため行うのである。安保条約が危険を一方的に作りだすのであれば、論理的に安保を無くせば、危険も無くすことになるが、安保は立場が違う人には「危険ではなく安全を作り出すのである。この文脈では「危険除去」のために地域社会を破壊することなど許されない。としたら、あまりに論理破綻なので、危険除去を安保にすり変えている。危険除去の方法として、住民移転と県外移設のどちらが良いかを比較して決めれば良いのであって、それを比較されたら困るから、こういう文になったのであろう。詭弁を用いず、素直に、住民が危険と感じ、転居が良いと考えれば、それに応じるべきである。それが、民主主義の原則である。
「昔からある地域社会を破壊する」
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宜野湾市人口推移 総数---世帯数
昭和15年国調(1940年)12,825 ---2,896
昭和25年国調(1950年) 15,930 ---3,488
昭和30年国調(1955年) 24,328 ---5,363
昭和35年国調(1960年) 29,501 ---7,680
昭和40年国調(1965年) 34,573 ---8,269
昭和45年国調(1970年) 39,390 ---9,341
昭和50年国調(1975年) 53,835 ---13,967
昭和55年国調(1980年) 62,549 ---17,619
昭和60年国調(1985年) 69,206 ---20,929
平成 2年国調(1990年) 75,905 ---24,467
平成 7年国調(1995年) 82,862 ---28,109
平成12年国調(2000年) 86,744 ---31,942
平成17年国調(2005年) 89,769 ---34,738
普天間基地が出来たのは1945年です。
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上の宜野湾市の人口推移を見ると、基地が無い時には、人口は15000人以下だったはずである。
今の人口9万人の17%にすぎない。17%の子や孫の自然増加率を沖縄平均0.68%で調整すると18.2%になる。残りの81%は基地ができてから転入してきた。
つまり、8割以上の人にとって、「昔からある地域社会」というのは、まさに基地がある地域社会だった。
むしろ、昔からあった基地を撤去することこそ、「昔からある地域社会」を破壊することになるのである。
そもそも、基地ができる前はいも畑に過ぎなかったのである。その昔の土地に戻せというなら、
跡地開発で市街地になる計画などにも絶対反対なのだろうか?。
もし、基地に徴収されず、いも畑のままだったとしたら、その土地に住んでいられただろうか。
他の島の例をみると産業のない島では、働き口を求めて、どんどん過疎化している。
むしろ、軍用地となったことで、いも畑では得られない莫大な収入を得たではないか。
「基地に先祖代々の土地を取られた被害者」などというのは客観的な判断と言えるだろうか。
このような論理展開をする照屋教授(沖国大、副学長、法学部)は 基地撤去派の論客で、多くの基地反対派の集会にも担ぎ出されている。
このような、一方的な判断をするのは、同僚にも共通しているので、ついでに紹介しよう。
沖国大学長の富川盛武経済学部教授は、『機会損失 自立の足かせ』 で基地があることで、交通が遮断され、都市計画にも支障があり、本来発展するはずだった機会を損失したと新聞などで、述べているが、経済学者としての資質を疑う。
それが正しいとするなら、基地がなく機会損失しなかった他の島が、沖縄以上の経済発展をしているはずである。
まったく、逆なのである。基地があったが故に、その基地の雇用効果で人が集積し、市街地が形成され、基地以外の産業を呼び寄せる機会を与えてきた。それが、他の島の4倍以上も人口が増えた理由である。
交通が遮断されていると感じるのは、基地による発展のため、民家も増え、道路が入り組むほど拡張できた結果なのである。産業もない地方の田舎などでは、交通遮断どころか、道すら無い。
学者も学者だが、新聞も新聞である。一体、このようなデタラメを載せて恥じないのだろうか。
なお、両氏、及び琉球新報が自分の名誉を回復したいのなら、遠慮なく反論コメントをお待ちする。
------ 沖縄が他の島と比べて4倍以上も人口が増えているデータ----
以下は面積が大きい他の島との比較です。
島名、面積、実人口(年)、人口比率(沖縄本島並みの面積だとしたら、何%の人口になるか。)を列記します。
沖縄本島(沖縄県) 1206.49 km2 1,246,436人(2005年) 100%
佐渡島(新潟県) 854.29 km2 63,328人(2009年) 7.18%
奄美大島(鹿児島県) 712.35 km2 65,666人(2010年) 8.92%
対馬(長崎県) 696.29 km2 34,116人(2010年) 4.74%
淡路島(兵庫県) 592.17 km2 143,774人(2010年) 23.50%
下島(熊本県) 574.01 km2 89,441人(2005年) 15.08%
屋久島(鹿児島県) 504.88 km2 13,761人(2005年) 2.64%
種子島(鹿児島県) 444.99 km2 31,657人(2010年) 6.89%
途方もなく、沖縄の人口が多いことが分かります。(4倍~38倍)
なお、念のため四国4県も島に見立てて、計算すると、沖縄は四国の5倍程度の人口となります。
四国(徳島,香川,愛媛,高知)18806km2 4,086,457(2005年) 21.03%
しかも、沖縄以外の他の島は全て、戦後から一貫して人口が減少していますが、沖縄だけ2.75倍に増加しています。
例えば、佐渡島はピーク時の1950年の125000人が現在63328人に減少しました。
淡路島は1950年の22.6万人が現在14.4万人に減少しています。
四国は戦後60年、人口は横ばいです。
2010年04月30日
普天間基地移設より、住民移転こそ最善
鳩山首相に提案したい。普天間問題を解決する最善で唯一の方法を
1、そもそも、普天間基地移設の目的とは何だったかという原点に戻って考える。
>普天間基地が市街地の中にあり、住民のために、危険・騒音を除去するという目的である。
2、では、危険・騒音除去を達成するには、普天間基地移設以外に他の手段がないかを考える。
>基地が無い場所に、基地周辺の住民が移転してもらうという方法がある。
3、住民移転の場合の長所・短所を具体的に検討する。
基地移設より住民移転の方が良い訳。
1、基地移設を県外・県内で行う場合、
移設先が容易に決まらず、仮に決まっても現地で工事妨害の実力行使が起こり、不測の事態なども予想され、本当に移設完了できるか疑問で、また、工事完了が長引き、普天間周辺住民にとって、危険軽減の実感が乏しくなる。
国外に移設する場合は、安全保障上の問題点があり、また、莫大な移設費用負担が財政上、重すぎ、しかも、その支出はまったく副次の経済効果をもたらさない死に金となってしまう。
2、住民移転の場合、
通勤・通学・商業権などの問題がある。また、移転補償費がかなり必要。
しかし、現状が危険で一刻も早い危険除去の必要性があるという理由があり、その理由が通勤や通学が不便という理由に勝ることは誰の目にも明らか。
しかも、移転先を住民が自由に選ぶ方法にすれば、通勤・通学の問題も軽減される。例えば、那覇に勤務先がある住民は、転居先を那覇やその隣接市町村に選べばよい。
沖縄国際大学などは名護市西部などに移転するか、名桜大学と統合するか、あるいは、泡瀬埋め立て地などに移転すれば良い。
商業権の問題は、基地がある時に営業を開始したのであり、仮に基地撤去した場合の営業損失やヘリ事故が起こる危険性などから見ても、不当な権利主張を請求される可能性は低い。通常の移転補償に若干の加算金で済む。
むしろ近隣の商業地域(沖縄市、北谷町、浦添市)に住民移転することで、活性化効果も期待できる。
なお、移転は強制ではなく、あくまで住民の希望に基づくこととし、しかも、転居先も自分で選べる方法をとる。
移転補償費は例えば、1世帯あたり6000万円とする。
1万世帯が応募すれば、6000億円必要であるが、グアム移設計画で日本国負担分も6000億である。
グアム移設の基地再編そのものを取り止めればよい。米国にとっても、余分な財政負担がなく反対も出ない。
基地撤去を主張する反米・反安保主義者から見れば、基地面積がそのまま残るので、負担軽減となっていないと反対するだろうが、実際に危険・騒音地域から移転しているので、住民の負担軽減策であることは明白であり、彼らの主張は県民から支持されない。
しかも、辺野古での桟橋工法移設となれば地元建設事業者にすら、大した経済効果も無いが、住民1万戸移転の新規住宅建設となれば、県全体であらゆる建設業者や設備業者・家電関係などを巻き込んで、莫大な経済波及効果が生まれる。
基地移設では、環境も破壊し、その工事費もほとんど波及効果が無いのに対して、住民移転の場合は、住民の生活環境の改善はもちろん、その移転補償金の何倍もの経済波及効果が生まれる生きたお金となる。
基地移設ではなく、住民移転。これこそが、県民全体への最大の負担軽減策として県民から支持される案である。
追記:
反米・反安保主義者は以下のように、悪あがきを主張するだろう。
『基地撤去すれば、その返還跡地が開発され、大きな経済効果がある。
基地があること自体が精神的な被害であり、実際に事件・事故も起こっている』
反論:返還跡地開発の可能性は限りなくゼロ。
泡瀬埋立地開発で裁判所は経済的合理性が無いと判断した。
つまり採算が取れないという事が明白になった。
なぜ、泡瀬で採算がとれないのに、返還跡地で採算が取れるのかの根拠を示すべきである。
しかも、現在でも広大な工業空き地に誘致できる産業が無いから、失業率の改善もできていない。
そんな状況で、どうして返還跡地に産業誘致が可能なのか、合理的な説明をすべきである。
例えば、名護から那覇に鉄道を引けば経済活性する云々というような案が新聞投稿欄などに出るが、現在の人口密集地を運行するモノレールですら赤字に陥っている。
他のどんな島でも財政難で人口維持に四苦八苦している現実ー島経済の厳しい現実を直視すべきである。
それでも基地に代わる産業が必ず、起こると信じるなら、先にその産業を現在の工業空き地に起こしてから主張すべきである。
反論:基地による事件・事故と精神的苦痛は周辺住民のみが判断すべき
基地被害が耐え難いものであるかどうかは、基地周辺住民のみが判断すべきである。
軍人家族と接したこともない那覇市民や糸満市民が判断すべきことではない。
基地のある中部地域では、軍人家族と仲良く暮らしている例は沢山ある。
外国人と仲良く生活する事が子どもたちのためになるのか、
それとも、外国人を排斥した方が安全なのか、
それは幕末での、異国人を攘夷すべきだというような感情論で判断すべきではない。
なお、軍人家族と共存したほうが良いかどうかの住民投票をする際には、
必ず、基地周辺住民だけに限るべきで、かつ、中学生以上の生徒を含み、出来れば投票ではなく、全員に回答用紙を渡し、完全回収して、その意思が確認できるような方法で行うべきであろう。
参考:
普天間基地周辺に住んでいる高校生の本音。
追記:高校生の本音の文中に
「だけど、基地内のガソリン、電気代は無料(日本の税金から払ってる)と聞いて
複雑な気持ちになります。」とありますが、
この内容に補足します。
基地内には米国の会社が運営するガソリンスタンドがあります。
米国なので日本のガソリン税はかかりません。(現在1ガロン(3.8リットル)2.85ドル程度。)
ちなみに、沖縄県民は沖縄だけの租税特例で本土より、ガソリンが7円安くなっています。
つまり、基地撤去で特例が廃止されたら、ガソリンが7円値上げされます。
電気代は、確かに日本の税金から支払っていますが、沖縄電力に支払っているのです。
沖縄電力の電気料金収入で基地内依存率は9.4%(Wiki)。もし、基地撤去で会社収益が減れば、
多分、電気料金を値上げせざるを得なくなるでしょう。なお、電力設備維持や原料の重油代などでも
沖縄電力には、国から多くの沖縄特例補助金が支給されています。
基地撤去で、この特例も廃止されれば、電気料金は大幅に値上げとなるでしょう。
基地撤去で過重負担軽減なんて、幻想です。
1、そもそも、普天間基地移設の目的とは何だったかという原点に戻って考える。
>普天間基地が市街地の中にあり、住民のために、危険・騒音を除去するという目的である。
2、では、危険・騒音除去を達成するには、普天間基地移設以外に他の手段がないかを考える。
>基地が無い場所に、基地周辺の住民が移転してもらうという方法がある。
3、住民移転の場合の長所・短所を具体的に検討する。
基地移設より住民移転の方が良い訳。
1、基地移設を県外・県内で行う場合、
移設先が容易に決まらず、仮に決まっても現地で工事妨害の実力行使が起こり、不測の事態なども予想され、本当に移設完了できるか疑問で、また、工事完了が長引き、普天間周辺住民にとって、危険軽減の実感が乏しくなる。
国外に移設する場合は、安全保障上の問題点があり、また、莫大な移設費用負担が財政上、重すぎ、しかも、その支出はまったく副次の経済効果をもたらさない死に金となってしまう。
2、住民移転の場合、
通勤・通学・商業権などの問題がある。また、移転補償費がかなり必要。
しかし、現状が危険で一刻も早い危険除去の必要性があるという理由があり、その理由が通勤や通学が不便という理由に勝ることは誰の目にも明らか。
しかも、移転先を住民が自由に選ぶ方法にすれば、通勤・通学の問題も軽減される。例えば、那覇に勤務先がある住民は、転居先を那覇やその隣接市町村に選べばよい。
沖縄国際大学などは名護市西部などに移転するか、名桜大学と統合するか、あるいは、泡瀬埋め立て地などに移転すれば良い。
商業権の問題は、基地がある時に営業を開始したのであり、仮に基地撤去した場合の営業損失やヘリ事故が起こる危険性などから見ても、不当な権利主張を請求される可能性は低い。通常の移転補償に若干の加算金で済む。
むしろ近隣の商業地域(沖縄市、北谷町、浦添市)に住民移転することで、活性化効果も期待できる。
なお、移転は強制ではなく、あくまで住民の希望に基づくこととし、しかも、転居先も自分で選べる方法をとる。
移転補償費は例えば、1世帯あたり6000万円とする。
1万世帯が応募すれば、6000億円必要であるが、グアム移設計画で日本国負担分も6000億である。
グアム移設の基地再編そのものを取り止めればよい。米国にとっても、余分な財政負担がなく反対も出ない。
基地撤去を主張する反米・反安保主義者から見れば、基地面積がそのまま残るので、負担軽減となっていないと反対するだろうが、実際に危険・騒音地域から移転しているので、住民の負担軽減策であることは明白であり、彼らの主張は県民から支持されない。
しかも、辺野古での桟橋工法移設となれば地元建設事業者にすら、大した経済効果も無いが、住民1万戸移転の新規住宅建設となれば、県全体であらゆる建設業者や設備業者・家電関係などを巻き込んで、莫大な経済波及効果が生まれる。
基地移設では、環境も破壊し、その工事費もほとんど波及効果が無いのに対して、住民移転の場合は、住民の生活環境の改善はもちろん、その移転補償金の何倍もの経済波及効果が生まれる生きたお金となる。
追記:
反米・反安保主義者は以下のように、悪あがきを主張するだろう。
『基地撤去すれば、その返還跡地が開発され、大きな経済効果がある。
基地があること自体が精神的な被害であり、実際に事件・事故も起こっている』
反論:返還跡地開発の可能性は限りなくゼロ。
泡瀬埋立地開発で裁判所は経済的合理性が無いと判断した。
つまり採算が取れないという事が明白になった。
なぜ、泡瀬で採算がとれないのに、返還跡地で採算が取れるのかの根拠を示すべきである。
しかも、現在でも広大な工業空き地に誘致できる産業が無いから、失業率の改善もできていない。
そんな状況で、どうして返還跡地に産業誘致が可能なのか、合理的な説明をすべきである。
例えば、名護から那覇に鉄道を引けば経済活性する云々というような案が新聞投稿欄などに出るが、現在の人口密集地を運行するモノレールですら赤字に陥っている。
他のどんな島でも財政難で人口維持に四苦八苦している現実ー島経済の厳しい現実を直視すべきである。
それでも基地に代わる産業が必ず、起こると信じるなら、先にその産業を現在の工業空き地に起こしてから主張すべきである。
反論:基地による事件・事故と精神的苦痛は周辺住民のみが判断すべき
基地被害が耐え難いものであるかどうかは、基地周辺住民のみが判断すべきである。
軍人家族と接したこともない那覇市民や糸満市民が判断すべきことではない。
基地のある中部地域では、軍人家族と仲良く暮らしている例は沢山ある。
外国人と仲良く生活する事が子どもたちのためになるのか、
それとも、外国人を排斥した方が安全なのか、
それは幕末での、異国人を攘夷すべきだというような感情論で判断すべきではない。
なお、軍人家族と共存したほうが良いかどうかの住民投票をする際には、
必ず、基地周辺住民だけに限るべきで、かつ、中学生以上の生徒を含み、出来れば投票ではなく、全員に回答用紙を渡し、完全回収して、その意思が確認できるような方法で行うべきであろう。
参考:
普天間基地周辺に住んでいる高校生の本音。
追記:高校生の本音の文中に
「だけど、基地内のガソリン、電気代は無料(日本の税金から払ってる)と聞いて
複雑な気持ちになります。」とありますが、
この内容に補足します。
基地内には米国の会社が運営するガソリンスタンドがあります。
米国なので日本のガソリン税はかかりません。(現在1ガロン(3.8リットル)2.85ドル程度。)
ちなみに、沖縄県民は沖縄だけの租税特例で本土より、ガソリンが7円安くなっています。
つまり、基地撤去で特例が廃止されたら、ガソリンが7円値上げされます。
電気代は、確かに日本の税金から支払っていますが、沖縄電力に支払っているのです。
沖縄電力の電気料金収入で基地内依存率は9.4%(Wiki)。もし、基地撤去で会社収益が減れば、
多分、電気料金を値上げせざるを得なくなるでしょう。なお、電力設備維持や原料の重油代などでも
沖縄電力には、国から多くの沖縄特例補助金が支給されています。
基地撤去で、この特例も廃止されれば、電気料金は大幅に値上げとなるでしょう。
基地撤去で過重負担軽減なんて、幻想です。
2010年04月27日
目的と手段が入れ替わっている例
普天間基地を移設する理由は住民にとって危険だからである。安保条約の破棄が理由ではない。
つまり、目的が「危険の除去」であり、その手段が「基地の移設」になる。
手段はあくまで手段なのであって、目的達成より優先されてはならない。
ところが、今や、手段が目的化している。
危険除去なんて、そっちのけで、県外か国内かの議論になっている。
県外や国外に固執するのは、基地の追い出しが目的で、そのために普天間の危険除去が遅れてもかまわないという論理であろう。つまり、危険除去よりも基地の追い出しこそが目的となっている。
そもそも、辺野古に移設する計画が頓挫したのは、
名護に「海を埋めるな、ジュゴンを殺すな」という理由が新たに加わり、これが、普天間の危険除去という理由より優先されてしまったからである。
何と不思議なことか。
そもそも、世界一危険で一刻も早く危険除去が必要とのことで、基地移設が計画されたのである。他の理由が割り込める程度の危険性しか無いと言っているに等しい。
「毎日、事故の危険に怯え、生きた心地がしない程の恐怖にさいなまれている。一刻も早い撤去が必要」というのが真っ赤な嘘で、切迫した危険性など感じていないということがばれてしまった。
例えば、交通事故で大出血している患者がいる場合、まず出血を止めることが先決で、どこの病院に搬送するかなどという議論が起こるはずがない。そんな議論がおこるなら、出血の程度が軽いということになる。もし、普天間基地住民が本当に、切迫した危険を感じているなら、時間のかかる「県外や国外」に反対するのが当然ではないか。
実は、危険除去が目的なら、この目的を最も早く達成できる手段は、基地移設ではなく周辺住民の転居のはずである。実際、ダムや道路建設などの公共事業では、住民の移転補償で対処している。なぜ、宜野湾では、それが実現できないのか。
宜野湾市議会議員のブログ
で質問してみた。彼の回答を是非、ご覧いただきたい。納得できるだろうか?。
結論
宜野湾市民は基地ができてから、飛行場周辺に移り住んだ人が大部分である。
なぜ、危険で騒音のある普天間に移ったのか。
基地が自分の収入の源であり、被害に耐え我慢してでも、そこに住まざるを得なかったからである。
基地撤去すれば、今までなら我慢しながらでも住み続けられたが、
基地が無くなれば、収入が途絶え、もはや生活すら出来なくなるだろう。
本当に宜野湾市民の一人一人が、基地の撤去を望んでいるだろうか。
基地跡地に代わりの産業ができるなどという幻想を吹き込まれているだけではないか。
参考
普天間第2小学校の移転(危険除去)を拒んだ市民運動家の理屈
児童の安全より反対運動優先
米軍基地に隣接する小学校の移転に反対した、基地反対の市民団体
つまり、目的が「危険の除去」であり、その手段が「基地の移設」になる。
手段はあくまで手段なのであって、目的達成より優先されてはならない。
ところが、今や、手段が目的化している。
危険除去なんて、そっちのけで、県外か国内かの議論になっている。
県外や国外に固執するのは、基地の追い出しが目的で、そのために普天間の危険除去が遅れてもかまわないという論理であろう。つまり、危険除去よりも基地の追い出しこそが目的となっている。
そもそも、辺野古に移設する計画が頓挫したのは、
名護に「海を埋めるな、ジュゴンを殺すな」という理由が新たに加わり、これが、普天間の危険除去という理由より優先されてしまったからである。
何と不思議なことか。
そもそも、世界一危険で一刻も早く危険除去が必要とのことで、基地移設が計画されたのである。他の理由が割り込める程度の危険性しか無いと言っているに等しい。
「毎日、事故の危険に怯え、生きた心地がしない程の恐怖にさいなまれている。一刻も早い撤去が必要」というのが真っ赤な嘘で、切迫した危険性など感じていないということがばれてしまった。
例えば、交通事故で大出血している患者がいる場合、まず出血を止めることが先決で、どこの病院に搬送するかなどという議論が起こるはずがない。そんな議論がおこるなら、出血の程度が軽いということになる。もし、普天間基地住民が本当に、切迫した危険を感じているなら、時間のかかる「県外や国外」に反対するのが当然ではないか。
実は、危険除去が目的なら、この目的を最も早く達成できる手段は、基地移設ではなく周辺住民の転居のはずである。実際、ダムや道路建設などの公共事業では、住民の移転補償で対処している。なぜ、宜野湾では、それが実現できないのか。
宜野湾市議会議員のブログ
で質問してみた。彼の回答を是非、ご覧いただきたい。納得できるだろうか?。
結論
宜野湾市民は基地ができてから、飛行場周辺に移り住んだ人が大部分である。
なぜ、危険で騒音のある普天間に移ったのか。
基地が自分の収入の源であり、被害に耐え我慢してでも、そこに住まざるを得なかったからである。
基地撤去すれば、今までなら我慢しながらでも住み続けられたが、
基地が無くなれば、収入が途絶え、もはや生活すら出来なくなるだろう。
本当に宜野湾市民の一人一人が、基地の撤去を望んでいるだろうか。
基地跡地に代わりの産業ができるなどという幻想を吹き込まれているだけではないか。
参考
普天間第2小学校の移転(危険除去)を拒んだ市民運動家の理屈
児童の安全より反対運動優先
米軍基地に隣接する小学校の移転に反対した、基地反対の市民団体
2009年10月22日
基地との共存で平和構築を
以下の文は沖縄の某新聞の論壇に10月7日投稿申込みしたのですが、
2週間経っても、掲載が無く、ボツにされたようですので転載します。
沖縄の新聞紙は特定運動屋のための機関紙と言われないよう、どんな意見でも
差別せず掲載してほしいと思います。残念です。
---------------------------------------------------------------
基地との共存で平和構築を
米軍を国連軍にしよう
基地の拒否や撤去ではなく、基地と共存する平和運動こそ現実的ではないでしょうか。
基地が戦争を起こすのでは無く、戦争が起きないよう基地があるのです。たとえば、犯罪の予防のため、警察が有るのであって、警察が無くなれば犯罪が無くなる訳ではありません。無論、犯罪が根絶できれば、警察は不要になりますが、警察を先に無くせば、犯罪を一層増やしてしまいます。
独裁者・部族・宗派対立による恐怖に怯える人々が現実にいます。軍事力を伴う人権擁護の盾が無ければ、弱肉強食の世界に陥ります。話し合い解決に限界があるから、国連自身が軍事力行使の必要性を国連憲章で認めています。
基地を平和の対極と見なし、「基地が無くならない限り平和は無い」という考えは、一人よがりで、テロリストの独善思想にも通じる極端で寛容性のない考えではないでしょうか。
また、軍隊は大規模な災害時には救助活動を行います。
基地の拒否や撤去ではなく、その役割を正しく導く平和運動こそ大事だと思います。
平和は本来、万人が希求するものです。国籍や人種や宗教を超えているはずです。戦争を防ぐための軍隊や基地のあり方を、沖縄県民が模索し、現実に基地と共存する中で、軍人の声も取り入れた寛容で普遍的な努力を続けるならば、必ず、国の垣根を越えて、地球防衛軍や万国人命救助隊のような形に結実できる日が来ます。
沖縄の米軍基地は「災い」ではなく、天から授かった宝石の原石です。
米軍を20年後に国籍無き国連軍(万国人命救助隊)に改編するため、兵士一人一人と交流を深め、オバマ誕生のような草の根の平和運動をしましょう。アメリカは理想を重んじる国です。だからこそ、オバマ大統領が選ばれたのです。
そして、沖縄の基地が、一国のためではなく、あらゆる国民の人権を守る砦となり、また災害で苦しむ人を救うための前線基地になるなら、これほど誇らしいことはありません。
我々が目指すべきは戦争や人権侵害を無くすことであり、基地を無くすことではありません。ましてや、自分の生活圏から基地が移転してくれたら良しとする平和運動はごまかしにすぎません。目の前から「問題」が見えなくなれば、その「問題」が解決する訳ではありません。自分の周りの「危険」をどこかに「たらい回し」にすれば「平和」になるのでしょうか?。
今こそ、県民の良識が問われています。県民にしかできない本当の使命を自覚しましょう。
2週間経っても、掲載が無く、ボツにされたようですので転載します。
沖縄の新聞紙は特定運動屋のための機関紙と言われないよう、どんな意見でも
差別せず掲載してほしいと思います。残念です。
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基地との共存で平和構築を
米軍を国連軍にしよう
基地の拒否や撤去ではなく、基地と共存する平和運動こそ現実的ではないでしょうか。
基地が戦争を起こすのでは無く、戦争が起きないよう基地があるのです。たとえば、犯罪の予防のため、警察が有るのであって、警察が無くなれば犯罪が無くなる訳ではありません。無論、犯罪が根絶できれば、警察は不要になりますが、警察を先に無くせば、犯罪を一層増やしてしまいます。
独裁者・部族・宗派対立による恐怖に怯える人々が現実にいます。軍事力を伴う人権擁護の盾が無ければ、弱肉強食の世界に陥ります。話し合い解決に限界があるから、国連自身が軍事力行使の必要性を国連憲章で認めています。
基地を平和の対極と見なし、「基地が無くならない限り平和は無い」という考えは、一人よがりで、テロリストの独善思想にも通じる極端で寛容性のない考えではないでしょうか。
また、軍隊は大規模な災害時には救助活動を行います。
基地の拒否や撤去ではなく、その役割を正しく導く平和運動こそ大事だと思います。
平和は本来、万人が希求するものです。国籍や人種や宗教を超えているはずです。戦争を防ぐための軍隊や基地のあり方を、沖縄県民が模索し、現実に基地と共存する中で、軍人の声も取り入れた寛容で普遍的な努力を続けるならば、必ず、国の垣根を越えて、地球防衛軍や万国人命救助隊のような形に結実できる日が来ます。
沖縄の米軍基地は「災い」ではなく、天から授かった宝石の原石です。
米軍を20年後に国籍無き国連軍(万国人命救助隊)に改編するため、兵士一人一人と交流を深め、オバマ誕生のような草の根の平和運動をしましょう。アメリカは理想を重んじる国です。だからこそ、オバマ大統領が選ばれたのです。
そして、沖縄の基地が、一国のためではなく、あらゆる国民の人権を守る砦となり、また災害で苦しむ人を救うための前線基地になるなら、これほど誇らしいことはありません。
我々が目指すべきは戦争や人権侵害を無くすことであり、基地を無くすことではありません。ましてや、自分の生活圏から基地が移転してくれたら良しとする平和運動はごまかしにすぎません。目の前から「問題」が見えなくなれば、その「問題」が解決する訳ではありません。自分の周りの「危険」をどこかに「たらい回し」にすれば「平和」になるのでしょうか?。
今こそ、県民の良識が問われています。県民にしかできない本当の使命を自覚しましょう。
2009年09月10日
ホント?3 『米軍基地が沖縄に75%も集中していて、不公平だ』


その不公平と引き換えに、沖縄だけが以下のような多くの高率補助金を受けています。
たとえば、道路保全に沖縄は国から95%の補助を受けられますが、
他府県は70%以下です。他にも、学校建設整備では85%対50%、
漁港整備は90%対66%、公営住宅建設75%対50%、
水道施設整備75%対33%、空港整備95%対66%と続き、
ほとんど全産業分野に及んでいます。
また、本土より、ガソリン税がリッター当たり7円安く、
航空機燃料税は那覇-羽田間は他路線より半額です。
さらに、那覇ぶんかてんぶす、沖縄こどもの国(こども未来館)、北谷ニライセンター、
嘉手納水釜町営住宅、嘉手納町マルチメディアセンター、
沖縄市コザミュージックタウンなど、
これらは基地関連の国庫予算で建設されています。
また、各自治体にも、軍関連の交付金が支給されています。
県民の中には「軍用地料などもらっていないし、自分には基地は何らメリットはない。」
と考えている人も多く居るでしょう。
しかし、例えば、台風で道路が不通になったら、国から95%の補助金があるため、
修理できるのです。
もし、他府県並みの70%以下になったら、財政難にあえぐ自治体は修理することにも
困るはずです。
沖縄の道路舗装率や上下水道普及率は全国のトップレベルです。
基地が無ければ北部の自治体などに軍用地料が入らず、
このような普及率や本土以上に立派な校舎など、絶対に無理なはずです。
また、あなたが軍用地料を貰っていなくても、そのお金が、
沖縄の最大の民間資本として、例えば、地域のレストランの開業資金などになって、
沖縄の雇用の維持や食材料店の売上に役立っているのです。
県民全てに、大きな恩恵を与えています。
この経済波及効果が大きいがゆえに、人口を2倍にも増やす力となったのです。
もし、基地が縮小・撤去されたら、この高率補助金も他府県並みに減らされ、
また軍用地料も減るので、県民全体に、大きな損失をもたらします。
2009年09月10日
ホント?2『基地を返還すれば、経済はより発展する』
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兵庫県の淡路島は、神戸から橋による陸続きで、沖縄本島と比べると、
交通の便に恵まれています。
しかし、その淡路島ですら、沖縄本島との面積比で人口は1/4しかいません。
奄美大島と比較すれば1/10、石垣島は1/5です。
島の中では沖縄だけがダントツに人口増なのです。
その原因は基地の経済効果です。なぜなら、基地の無い時代(つまり戦前)、
沖縄の人口は57万人(本島では45万人)程度で停滞していて、飢餓に苦しみ、
食糧難で多くの移民を海外に出していました。
単に子沢山というだけでは、人口増の原因とはなりません。
産業構造の変化、特に食い扶持(食糧)をまかなえる経済基盤が無ければ、
人口増とはなりません。
もし、基地が無くなっても、代わりの産業で人口が維持できると言うなら、
なぜ、その産業が淡路島で成立せず、沖縄だけで成立するのかを説明すべきです。
なお、淡路島は財政破綻寸前です。
そんな産業があったら、競って誘致するはずです。
また、沖縄には基地返還せずとも、今でも多くの埋め立て工業空き地があります。
そんな産業があるなら、なぜ、今の空き地に誘致できず、返還跡地でなければ
だめなのかも説明すべきです。
県や経済学者は返還跡地が商業地になって、その返還跡地では
販売高などが増えたというあきれた理屈で、返還すれば経済効果は
大きいと主張しています。返還した軍用地面積の全部が商業地に
なる訳がありません。
しかも、販売高が増えた北谷町美浜の例では、その販売高の多くを
軍人と軍雇用員の顧客が占めているという事実を無視したナンセンス
そのものな理屈です。
ちなみに、四国4県は戦後55年、全く人口が増えていません。
海峡大橋ができても、島の経済的制約を乗り越えられないのです。
沖縄は淡路島や四国より、圧倒的に産業誘致に不利です。
基地を返還しても、この地域より数倍の人口を養える産業が育つと、
どうして楽観できるのでしょうか。
基地返還すれば観光客が増えて、繁栄するというのも、馬鹿げた理屈です。
もしそうなら、なぜ、グアムが沖縄からの基地移転を大歓迎するのでしょうか。
観光が大事なら、その障害となりそうな基地など大反対するはずです。
観光産業だけでは、食っていけず、また、基地が来ても、何ら、
観光に障害が無いことを知っているから、大歓迎するのです。
観光産業で生計維持できるのは、現在の石垣島からみて、
本島の人口1/5程度だけでしょう。
つまり、沖縄県民100万人が破綻するでしょう。
日本だけでなく、世界中で、景気が低迷しています。
どこでも、地元の産業を何とか維持し、人々の生計・暮らしを確保することに
全力をあげて取り組んでいます。
そんな中、沖縄だけが、こんな唯一の産業基盤・生計維持の手段を、
あろうことか、手放すことに躍起になっています。
それどころか、沖縄米軍基地をグアムに移転する費用のうち、日本政府負担は
6000億円を超える額です。
これは、沖縄県民の基地の過重負担を軽減するためという名目です。
なんという皮肉でしょう。
負担軽減どころか、確実な経済破綻で、奈落の底まで突き落とすのが確実です。
提案ですが、グアムなんかに無駄な箱物6千億円を使うより、
もし、基地が本当に過重負担だと感じている住民が1万人居たとしても、
それらの住民を基地の無い南部や北部に移住させる費用として、
1人当たり六千万円を配布して使った方が、県内の経済波及が大きく、
本当の軽減になります。(1万人 x 6千万円=6千億円)
あるいは、浦添市から名護市までの自治体住民75万人の全員に1人当たり、
80万円を今後30年分の基地迷惑料給付金として、配布した方が、
よっぽど、負担軽減になります。(75万人 x 80万円=6千億円)
30年間ぐらいかけなければ、基地なみの人口を維持できる産業など、
絶対に育てられません。基地の縮小・撤去は30年間は行っては
なりません。
今、基地を縮小・返還すれば、大事な購買力がますます小さくなり、
現在の企業すら採算が取れず、沖縄から撤退していくことになり、
それがさらに別の企業へと連鎖反応を起こし、沖縄は破綻していきます。
しかも、全国一の低学力がばれてしまった沖縄は、
労働力の質も最低とみなされてしまうのです。
多国籍に展開する先進の優良企業が、そんな沖縄に魅力を
感じるでしょうか?
身近な外国人である軍人家族を排斥する、
偏狭なイメージがまとわりつく沖縄に、
優秀な外国人投資家や外国人企業家が魅力を感じるでしょうか?
低学力に付け込んで、低給与でこき使いたい悪質な企業
だけが沖縄に進出し、その餌食となって、県民が破滅して
いく未来が見えてきます。
沖縄を破滅に導く、基地縮小・撤去に反対すべきです。

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兵庫県の淡路島は、神戸から橋による陸続きで、沖縄本島と比べると、
交通の便に恵まれています。
しかし、その淡路島ですら、沖縄本島との面積比で人口は1/4しかいません。
奄美大島と比較すれば1/10、石垣島は1/5です。
島の中では沖縄だけがダントツに人口増なのです。
その原因は基地の経済効果です。なぜなら、基地の無い時代(つまり戦前)、
沖縄の人口は57万人(本島では45万人)程度で停滞していて、飢餓に苦しみ、
食糧難で多くの移民を海外に出していました。
単に子沢山というだけでは、人口増の原因とはなりません。
産業構造の変化、特に食い扶持(食糧)をまかなえる経済基盤が無ければ、
人口増とはなりません。
もし、基地が無くなっても、代わりの産業で人口が維持できると言うなら、
なぜ、その産業が淡路島で成立せず、沖縄だけで成立するのかを説明すべきです。
なお、淡路島は財政破綻寸前です。
そんな産業があったら、競って誘致するはずです。
また、沖縄には基地返還せずとも、今でも多くの埋め立て工業空き地があります。
そんな産業があるなら、なぜ、今の空き地に誘致できず、返還跡地でなければ
だめなのかも説明すべきです。
県や経済学者は返還跡地が商業地になって、その返還跡地では
販売高などが増えたというあきれた理屈で、返還すれば経済効果は
大きいと主張しています。返還した軍用地面積の全部が商業地に
なる訳がありません。
しかも、販売高が増えた北谷町美浜の例では、その販売高の多くを
軍人と軍雇用員の顧客が占めているという事実を無視したナンセンス
そのものな理屈です。
ちなみに、四国4県は戦後55年、全く人口が増えていません。
海峡大橋ができても、島の経済的制約を乗り越えられないのです。
沖縄は淡路島や四国より、圧倒的に産業誘致に不利です。
基地を返還しても、この地域より数倍の人口を養える産業が育つと、
どうして楽観できるのでしょうか。
基地返還すれば観光客が増えて、繁栄するというのも、馬鹿げた理屈です。
もしそうなら、なぜ、グアムが沖縄からの基地移転を大歓迎するのでしょうか。
観光が大事なら、その障害となりそうな基地など大反対するはずです。
観光産業だけでは、食っていけず、また、基地が来ても、何ら、
観光に障害が無いことを知っているから、大歓迎するのです。
観光産業で生計維持できるのは、現在の石垣島からみて、
本島の人口1/5程度だけでしょう。
つまり、沖縄県民100万人が破綻するでしょう。
日本だけでなく、世界中で、景気が低迷しています。
どこでも、地元の産業を何とか維持し、人々の生計・暮らしを確保することに
全力をあげて取り組んでいます。
そんな中、沖縄だけが、こんな唯一の産業基盤・生計維持の手段を、
あろうことか、手放すことに躍起になっています。
それどころか、沖縄米軍基地をグアムに移転する費用のうち、日本政府負担は
6000億円を超える額です。
これは、沖縄県民の基地の過重負担を軽減するためという名目です。
なんという皮肉でしょう。
負担軽減どころか、確実な経済破綻で、奈落の底まで突き落とすのが確実です。
提案ですが、グアムなんかに無駄な箱物6千億円を使うより、
もし、基地が本当に過重負担だと感じている住民が1万人居たとしても、
それらの住民を基地の無い南部や北部に移住させる費用として、
1人当たり六千万円を配布して使った方が、県内の経済波及が大きく、
本当の軽減になります。(1万人 x 6千万円=6千億円)
あるいは、浦添市から名護市までの自治体住民75万人の全員に1人当たり、
80万円を今後30年分の基地迷惑料給付金として、配布した方が、
よっぽど、負担軽減になります。(75万人 x 80万円=6千億円)
30年間ぐらいかけなければ、基地なみの人口を維持できる産業など、
絶対に育てられません。基地の縮小・撤去は30年間は行っては
なりません。
今、基地を縮小・返還すれば、大事な購買力がますます小さくなり、
現在の企業すら採算が取れず、沖縄から撤退していくことになり、
それがさらに別の企業へと連鎖反応を起こし、沖縄は破綻していきます。
しかも、全国一の低学力がばれてしまった沖縄は、
労働力の質も最低とみなされてしまうのです。
多国籍に展開する先進の優良企業が、そんな沖縄に魅力を
感じるでしょうか?
身近な外国人である軍人家族を排斥する、
偏狭なイメージがまとわりつく沖縄に、
優秀な外国人投資家や外国人企業家が魅力を感じるでしょうか?
低学力に付け込んで、低給与でこき使いたい悪質な企業
だけが沖縄に進出し、その餌食となって、県民が破滅して
いく未来が見えてきます。
沖縄を破滅に導く、基地縮小・撤去に反対すべきです。
2009年09月10日
ホント?『基地は騒音・危険だらけ。撤去するのは当然』
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本土では民家のすぐ隣に鉄道が走ってる地域がたくさんあります。
その騒音や振動のひどさは、嘉手納飛行場などと大差ありません。
(むしろ、延べ時間数、振動の激しさなどは嘉手納基地より大きいでしょう)
国道など交通量の激しい沿線でも、騒音・振動や排気ガス公害はあります。
基地だけが特別の被害を受けている訳ではありません。
産業と共存するという便益のためには、『危険』とも共存する覚悟は必要です。
どんな産業であれ、全く迷惑も危険もないような産業はありません。
産業自体を否定してしまえば、「危険」は無くなりますが、「生活」も無くなります。
基地から被害を受けたら、その損害賠償請求をすれば十分です。
基地の撤去や縮小を求める必要はありません。
『基地被害』を政治目的のために利用する勢力は、地元民の利益のために、
基地撤去を訴えているのではありません。
地元民の利益を第一に考えるなら、基地と共存する方法を求めるはずです。
彼らの策動に乗せられてはなりません。
基地の縮小や撤去は沖縄経済を破綻に導きます。

本土では民家のすぐ隣に鉄道が走ってる地域がたくさんあります。
その騒音や振動のひどさは、嘉手納飛行場などと大差ありません。
(むしろ、延べ時間数、振動の激しさなどは嘉手納基地より大きいでしょう)
国道など交通量の激しい沿線でも、騒音・振動や排気ガス公害はあります。
基地だけが特別の被害を受けている訳ではありません。
産業と共存するという便益のためには、『危険』とも共存する覚悟は必要です。
どんな産業であれ、全く迷惑も危険もないような産業はありません。
産業自体を否定してしまえば、「危険」は無くなりますが、「生活」も無くなります。
基地から被害を受けたら、その損害賠償請求をすれば十分です。
基地の撤去や縮小を求める必要はありません。
『基地被害』を政治目的のために利用する勢力は、地元民の利益のために、
基地撤去を訴えているのではありません。
地元民の利益を第一に考えるなら、基地と共存する方法を求めるはずです。
彼らの策動に乗せられてはなりません。
基地の縮小や撤去は沖縄経済を破綻に導きます。
2008年03月17日
少女が告訴を取り下げた理由
少女の告訴取下げを、まるで「強姦が有ったのに、泣き寝入りせざるを得ない」ような印象で新聞などは書きたてていますが、この事件はむしろ、事件性が全くないにも関わらず、外部の政治的圧力で、何か凶悪な事件にでっち上げられた感じがします。
警察一部には、志布志事件で明らかなように、事件を捏造しようとする体質があることを考慮しなければなりません。
本当に、事件性があるなら、県青少年保護育成条例や未成年者監禁罪など、親告罪対象ではない別の罪で立件することもできたはずです。
少女の供述書さえあれば、送検できるので、少女に負担がかかることはありません。
実際、数年前のブラウン少佐の時も、被害者のフィリピン女性が告訴取下げを願い出ましたが、警察は被害者の心情など無視して、携帯電話の器物損壊罪で拘留し続けて、本人の自白を執拗に導き出そうとしました。
今回、少女は恐らく、勇気のある子で、無実の米兵をかばい続け、警察から嘘の供述を強要されても、それに応じなかったため、警察があきらめたというのが真相に近いと思います。
「別の罪で立件することも、少女の心情を考えればふさわしくない」と警察は会見で述べていますが、少女側がむしろ、軍人弁護側の証人として、「米兵は無実だ」という証言をしたら、警察の面目が丸つぶれになるので、そうごまかしたのでしょう。
少女は「そっとしておいてほしい」と言ったそうですが、これも、少女は自分にではなく、米兵に対して、彼は無実なのだから「そっとしておいてほしい」と言ったのかもしれません。
また、警察が、事件性がないと判断して、正直に無実釈放する予定で有ったにも関わらず、マスコミや政治勢力からの圧力で、真相が不明になる告訴取下げで決着を図ったのかもしれません。
無論、事実関係は不明です。
取調べが密室で行われる現状を改善して、何とか可視化してほしいものです。
そうなれば、被害者につらいような取調べも改善されるでしょう。
警察一部には、志布志事件で明らかなように、事件を捏造しようとする体質があることを考慮しなければなりません。
本当に、事件性があるなら、県青少年保護育成条例や未成年者監禁罪など、親告罪対象ではない別の罪で立件することもできたはずです。
少女の供述書さえあれば、送検できるので、少女に負担がかかることはありません。
実際、数年前のブラウン少佐の時も、被害者のフィリピン女性が告訴取下げを願い出ましたが、警察は被害者の心情など無視して、携帯電話の器物損壊罪で拘留し続けて、本人の自白を執拗に導き出そうとしました。
今回、少女は恐らく、勇気のある子で、無実の米兵をかばい続け、警察から嘘の供述を強要されても、それに応じなかったため、警察があきらめたというのが真相に近いと思います。
「別の罪で立件することも、少女の心情を考えればふさわしくない」と警察は会見で述べていますが、少女側がむしろ、軍人弁護側の証人として、「米兵は無実だ」という証言をしたら、警察の面目が丸つぶれになるので、そうごまかしたのでしょう。
少女は「そっとしておいてほしい」と言ったそうですが、これも、少女は自分にではなく、米兵に対して、彼は無実なのだから「そっとしておいてほしい」と言ったのかもしれません。
また、警察が、事件性がないと判断して、正直に無実釈放する予定で有ったにも関わらず、マスコミや政治勢力からの圧力で、真相が不明になる告訴取下げで決着を図ったのかもしれません。
無論、事実関係は不明です。
取調べが密室で行われる現状を改善して、何とか可視化してほしいものです。
そうなれば、被害者につらいような取調べも改善されるでしょう。
2008年03月14日
まやかしの県民大会。良心的動員拒否をしましょう。
「米兵によるあらゆる事件・事故に抗議する県民大会」の欺瞞
この大会は果たして、被害少女の悲憤に共鳴して開催されるものだろうか?
県内では、県民による強姦犯罪は年間23件以上起こっている。なぜ、米兵による今回の事件だけを大きく意図的に取り上げるのだろう。
米軍人に暴行されたら、県民に暴行されるより、23倍以上も残酷だからとでもいうのだろうか?
しかも、今回の事件は、軍人であることや外国人であることが犯行の要因ではない。例えば、軍服を着て、任務遂行中だったとか、軍用銃で脅したという訳ではない、軍人の地位や立場を利用した犯罪ではない。全くの個人犯罪である。
実際の強姦犯罪では、例えば、教員が教え子に乱暴したとかという犯行事例が多いのであり、その場合には、教員という立場を利用しているので、その犯罪者の上司に監督責任を追及しても許されると思うが、今回の事件のように、職務と無関係な個人犯行であるにも関わらず、その同僚全体を、よってたかって糾弾するようなことは、その同僚に対する人権侵害ではないだろうか。
例えば、犯行者がブラジル日系人でトラック運転者だった場合、通常の良識あるマスコミなら、犯人は「外国人」としか報道しないはずである。なぜなら「ブラジル」とか「トラック運転手」は犯行の要因ではなく、これを明示しないことで、特定の国籍者や職業者に対する偏見が生じるのを防ぐためである。
今回のマスコミ報道はこれらの良識とは、全く正反対の対応である。まだ、容疑の段階で、個人の職業、住所、名前まで公表し、全く無実の同僚まで、「危険な隣人」と犯罪者呼ばわりし、全軍人の連帯責任を追及し、綱紀粛正ができないなら沖縄から出て行けと罵声を浴びせ、外出禁止令まで要求しているのである。
このような対応の違いが生じるのは、少女への同情心や犯行への憎しみとは無関係な、つまり、「軍人」だからなのである。仮に、県職員1人がこのような犯罪を犯したら、県職員全員とその家族をも糾弾し、外出禁止令を要求するようなことがあるだろうか?
今回の対応がいかに不当で、偏見と迫害の意図をもって為されているか、その異常性と政治目的が明白ではないか。この大会は、少女への憐憫の情を手段として、自らの政治目的を遂げようと計画されたものではないか。
つまり、この事件を利用して、軍人→犯罪人ばかり→基地撤去しなければ危険 というイメージ操作を行うのために企画されたとしか思えない。
むしろ、被害者の「そっとしておいてほしい」の思いを踏みにじる、人権無視の大会ではないか。
このような悪辣な煽動者は、少女の悲しみすら、自分たちの政治的野心のための単なる道具にすぎず、内心「これ幸い」とほくそ笑んでいるかもしれない。
基地撤去を叫ぶことは自由である。しかし、基地で働く人々自体を危険な犯罪人と仕立て上げ、迫害する自由なんぞ断じてない。
「米兵によるあらゆる事件・事故に抗議する県民大会」という、なんと空々しいタイトルであることか。「米兵」だけが事件・事故を起こしているような言い草である。
このような精神構造では、もし、めでたく基地が撤去され、その跡地に南米やアジア系住民が集団で働くような工場ができたとしても、恐らく、またも、その移住者全員を犯罪人に仕立て上げ、排斥集会をするだろう。
本来、誰とでも仲良くするのは努力や忍耐を要するものであり、つらいことである。そんなつらさから逃げ、付き合わずに排斥した方がずっと楽だからである。身内の犯罪の多さに無頓着で、他人の犯罪ばかりをやり玉に上げ、日常生活の不満や怒りをぶつける外敵を作り、いじめることに明け暮れる、そんな精神構造を見事に表しているタイトルではないか。
誰かに対して偏見・憎悪を持つということは、巡り巡って、自分に対しても、偏見・憎悪を持つことになるのである。
犯罪は無論、憎むべきである。しかし、「罪を憎んで人を憎まず」の教えも真実であろう。
もし、県民大会に参加するよう動員がかかったら、是非、以下のことを自問自答して、内心の良心の声に従ってくださいね。
「貴方は少女の悲しみのために、その犯罪を憎んでいますか。それとも、軍人が犯した犯罪だから、その軍人を憎んでいませんか。
内心、軍人を憎むために、この犯罪を利用していませんか。」
この大会は果たして、被害少女の悲憤に共鳴して開催されるものだろうか?
県内では、県民による強姦犯罪は年間23件以上起こっている。なぜ、米兵による今回の事件だけを大きく意図的に取り上げるのだろう。
米軍人に暴行されたら、県民に暴行されるより、23倍以上も残酷だからとでもいうのだろうか?
しかも、今回の事件は、軍人であることや外国人であることが犯行の要因ではない。例えば、軍服を着て、任務遂行中だったとか、軍用銃で脅したという訳ではない、軍人の地位や立場を利用した犯罪ではない。全くの個人犯罪である。
実際の強姦犯罪では、例えば、教員が教え子に乱暴したとかという犯行事例が多いのであり、その場合には、教員という立場を利用しているので、その犯罪者の上司に監督責任を追及しても許されると思うが、今回の事件のように、職務と無関係な個人犯行であるにも関わらず、その同僚全体を、よってたかって糾弾するようなことは、その同僚に対する人権侵害ではないだろうか。
例えば、犯行者がブラジル日系人でトラック運転者だった場合、通常の良識あるマスコミなら、犯人は「外国人」としか報道しないはずである。なぜなら「ブラジル」とか「トラック運転手」は犯行の要因ではなく、これを明示しないことで、特定の国籍者や職業者に対する偏見が生じるのを防ぐためである。
今回のマスコミ報道はこれらの良識とは、全く正反対の対応である。まだ、容疑の段階で、個人の職業、住所、名前まで公表し、全く無実の同僚まで、「危険な隣人」と犯罪者呼ばわりし、全軍人の連帯責任を追及し、綱紀粛正ができないなら沖縄から出て行けと罵声を浴びせ、外出禁止令まで要求しているのである。
このような対応の違いが生じるのは、少女への同情心や犯行への憎しみとは無関係な、つまり、「軍人」だからなのである。仮に、県職員1人がこのような犯罪を犯したら、県職員全員とその家族をも糾弾し、外出禁止令を要求するようなことがあるだろうか?
今回の対応がいかに不当で、偏見と迫害の意図をもって為されているか、その異常性と政治目的が明白ではないか。この大会は、少女への憐憫の情を手段として、自らの政治目的を遂げようと計画されたものではないか。
つまり、この事件を利用して、軍人→犯罪人ばかり→基地撤去しなければ危険 というイメージ操作を行うのために企画されたとしか思えない。
むしろ、被害者の「そっとしておいてほしい」の思いを踏みにじる、人権無視の大会ではないか。
このような悪辣な煽動者は、少女の悲しみすら、自分たちの政治的野心のための単なる道具にすぎず、内心「これ幸い」とほくそ笑んでいるかもしれない。
基地撤去を叫ぶことは自由である。しかし、基地で働く人々自体を危険な犯罪人と仕立て上げ、迫害する自由なんぞ断じてない。
「米兵によるあらゆる事件・事故に抗議する県民大会」という、なんと空々しいタイトルであることか。「米兵」だけが事件・事故を起こしているような言い草である。
このような精神構造では、もし、めでたく基地が撤去され、その跡地に南米やアジア系住民が集団で働くような工場ができたとしても、恐らく、またも、その移住者全員を犯罪人に仕立て上げ、排斥集会をするだろう。
本来、誰とでも仲良くするのは努力や忍耐を要するものであり、つらいことである。そんなつらさから逃げ、付き合わずに排斥した方がずっと楽だからである。身内の犯罪の多さに無頓着で、他人の犯罪ばかりをやり玉に上げ、日常生活の不満や怒りをぶつける外敵を作り、いじめることに明け暮れる、そんな精神構造を見事に表しているタイトルではないか。
誰かに対して偏見・憎悪を持つということは、巡り巡って、自分に対しても、偏見・憎悪を持つことになるのである。
犯罪は無論、憎むべきである。しかし、「罪を憎んで人を憎まず」の教えも真実であろう。
もし、県民大会に参加するよう動員がかかったら、是非、以下のことを自問自答して、内心の良心の声に従ってくださいね。
「貴方は少女の悲しみのために、その犯罪を憎んでいますか。それとも、軍人が犯した犯罪だから、その軍人を憎んでいませんか。
内心、軍人を憎むために、この犯罪を利用していませんか。」
2008年03月11日
米軍人等家族との交流促進を願う要請 No1
外務大臣 高村正彦殿、防衛省大臣 石破茂殿、沖縄県知事 仲井真弘多殿 沖縄防衛局局長 真部 朗殿
在沖米国総領事 Kevin Maher 殿、在沖米四軍調整官 Richard C. Zilmer 殿
米軍人等家族の基地外居住推進と地域との交流促進を願う要請
私たちは、在沖縄米軍基地の米軍人・軍属家族と日頃から交流のある近隣住民です。
私たちは、今回の事件で報道されているような凶悪な事実があるなら、大変残念に思います。
しかしながら、私たちは、日常身近に接している軍人等家族が、穏やかで優しく犯罪とは全く無縁であることから、仮にこのような事件を起こす者が居たとしても、極めて例外的であることを強く訴えます。
今回の事件を通じて、多くの無実の軍人等家族が、いわれなき非難にさらされ、13日にも及ぶ全日外出禁止制限を受けました。
無実の人に対するこのような措置は、国際人権規約第9条の「何人も、法律で定める理由及び手続によらない限り、その自由を奪われない。 」に違反した不当な迫害です。
犯罪者は無論、処罰されるべきですが、犯罪を犯していない者まで、犯罪者扱いし、その自由を奪うなど、民主的な近代国家として恥ずべき愚行であり、今後、二度とこのような措置がなされないよう要請いたします。
また、今回の事件の容疑者が基地外居住者であることから、基地外居住の実態についても、「危険な隣人」などと悪宣伝されました。
しかし、彼らは50年も前から、地域に何事もなく、平穏に暮らしてきた経緯があるのです。中には、日本語が達者で、日本文化への学習意欲も豊富で、三味線・琉舞・空手・料理など、県民以上の造詣を持つ人たちもいます。
もし、軍人等家族が報道されるような危険な野蛮人ばかりであるなら、誰も大事な家屋を彼らのために貸すことなど有り得ないはずです。また、事件の発端となったコザミュージックタウンが、彼らを呼び寄せる広告宣伝をしたり、事件現場となった北谷町美浜が「アメリカンビレッジ」と名前まで付けて、彼ら好みの街づくりをする訳がありません。
彼ら軍人等家族が、実際よき隣人であり信頼できるからこそ、彼らのための家屋を建設し、彼ら相手の店舗や商業ビジネスが地域で成立しているのです。
また、彼ら軍人等家族と国際婚姻し、平穏で幸福な生活を送っている家族も多くいます。彼ら軍人等家族を一方的に「危険」「野蛮」「占領軍気どりで横暴・傍若無人」と決めつけ、如何にも地域住民を不安に陥れているようなイメージ操作することは、人道上、許されることではありません。
今回のような事件が起こるたびに基地のデメリットが強調されますが、私たちは、安全保障によるメリットの問題は別としても、彼らとの交流効果を思い起こさねばなりません。
軍人という外国人が生活圏にいて、気軽に話しかけられることは、国際交流や文化向上にとてもメリットがあります。
東京都港区・新宿区のように外国人住民が1割を超えるようなグローバル化が進む現在、外国人抜きの経済展開など考えられないはずです。折角、身近に外国人がいるのに、その人たちを排斥してしまうのは将来の沖縄のために、とても残念なことです。
また、外国人観光客や外国人投資家を受け入れるためにも、職業偏見を持たず、実践的な語学力や国際感覚を身につけた人材を育成するためにも、身近な基地・隣人を活用することは大事な施策です。
犯罪は無論、許してはなりません。
そして、その対策を、排斥排除という一番安易な方法で解決することには賛成できません。
敢えて、提案するならば、その逆で、沖縄に赴任する兵員を一定期間、基地外で生活させることで沖縄県民との友好意識を高めることが必要と思っています。
「良き隣人」は厳しい綱紀粛正や閉ざされた兵舎の中で培えるものではありません。戸惑いながらも、お互いの悩みや喜びの親愛の情を確かめながら、一歩一歩、共感できる喜びを深めていく中でこそ、養われてゆくものと思います。
県民との交流・融和を遮断するより、深めることが本質的な解決策であると思います。彼ら軍人等家族との交流の促進を強く要請いたします。
上記の内容を支持し、共同して要請することに同意して署名いたします。
平成 年 月 日
氏名 印
住所
--------------------------------------------------------------------------------------
上記の要請文のPDF書類は、okinawa.chatan@gmail.com まで、メールでお問い合わせください。
必ず、氏名・連絡先を明記お願いいたします。
----------------------------------------------------------------------------
在沖米国総領事 Kevin Maher 殿、在沖米四軍調整官 Richard C. Zilmer 殿
米軍人等家族の基地外居住推進と地域との交流促進を願う要請
私たちは、在沖縄米軍基地の米軍人・軍属家族と日頃から交流のある近隣住民です。
私たちは、今回の事件で報道されているような凶悪な事実があるなら、大変残念に思います。
しかしながら、私たちは、日常身近に接している軍人等家族が、穏やかで優しく犯罪とは全く無縁であることから、仮にこのような事件を起こす者が居たとしても、極めて例外的であることを強く訴えます。
今回の事件を通じて、多くの無実の軍人等家族が、いわれなき非難にさらされ、13日にも及ぶ全日外出禁止制限を受けました。
無実の人に対するこのような措置は、国際人権規約第9条の「何人も、法律で定める理由及び手続によらない限り、その自由を奪われない。 」に違反した不当な迫害です。
犯罪者は無論、処罰されるべきですが、犯罪を犯していない者まで、犯罪者扱いし、その自由を奪うなど、民主的な近代国家として恥ずべき愚行であり、今後、二度とこのような措置がなされないよう要請いたします。
また、今回の事件の容疑者が基地外居住者であることから、基地外居住の実態についても、「危険な隣人」などと悪宣伝されました。
しかし、彼らは50年も前から、地域に何事もなく、平穏に暮らしてきた経緯があるのです。中には、日本語が達者で、日本文化への学習意欲も豊富で、三味線・琉舞・空手・料理など、県民以上の造詣を持つ人たちもいます。
もし、軍人等家族が報道されるような危険な野蛮人ばかりであるなら、誰も大事な家屋を彼らのために貸すことなど有り得ないはずです。また、事件の発端となったコザミュージックタウンが、彼らを呼び寄せる広告宣伝をしたり、事件現場となった北谷町美浜が「アメリカンビレッジ」と名前まで付けて、彼ら好みの街づくりをする訳がありません。
彼ら軍人等家族が、実際よき隣人であり信頼できるからこそ、彼らのための家屋を建設し、彼ら相手の店舗や商業ビジネスが地域で成立しているのです。
また、彼ら軍人等家族と国際婚姻し、平穏で幸福な生活を送っている家族も多くいます。彼ら軍人等家族を一方的に「危険」「野蛮」「占領軍気どりで横暴・傍若無人」と決めつけ、如何にも地域住民を不安に陥れているようなイメージ操作することは、人道上、許されることではありません。
今回のような事件が起こるたびに基地のデメリットが強調されますが、私たちは、安全保障によるメリットの問題は別としても、彼らとの交流効果を思い起こさねばなりません。
軍人という外国人が生活圏にいて、気軽に話しかけられることは、国際交流や文化向上にとてもメリットがあります。
東京都港区・新宿区のように外国人住民が1割を超えるようなグローバル化が進む現在、外国人抜きの経済展開など考えられないはずです。折角、身近に外国人がいるのに、その人たちを排斥してしまうのは将来の沖縄のために、とても残念なことです。
また、外国人観光客や外国人投資家を受け入れるためにも、職業偏見を持たず、実践的な語学力や国際感覚を身につけた人材を育成するためにも、身近な基地・隣人を活用することは大事な施策です。
犯罪は無論、許してはなりません。
そして、その対策を、排斥排除という一番安易な方法で解決することには賛成できません。
敢えて、提案するならば、その逆で、沖縄に赴任する兵員を一定期間、基地外で生活させることで沖縄県民との友好意識を高めることが必要と思っています。
「良き隣人」は厳しい綱紀粛正や閉ざされた兵舎の中で培えるものではありません。戸惑いながらも、お互いの悩みや喜びの親愛の情を確かめながら、一歩一歩、共感できる喜びを深めていく中でこそ、養われてゆくものと思います。
県民との交流・融和を遮断するより、深めることが本質的な解決策であると思います。彼ら軍人等家族との交流の促進を強く要請いたします。
上記の内容を支持し、共同して要請することに同意して署名いたします。
平成 年 月 日
氏名 印
住所
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上記の要請文のPDF書類は、okinawa.chatan@gmail.com まで、メールでお問い合わせください。
必ず、氏名・連絡先を明記お願いいたします。
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2006年01月19日
基地の経済効果は38.5%
沖縄の人口は戦前は50万人前後で推移してました。
食い扶持を求めて、本土や海外への出稼ぎも多く、今は世界のウチナンチューとして成功している人たちの往時の苦労が偲ばれます。
しかし、戦後、基地で占領され、住みにくいはずの沖縄には多くの人口が増えました。
日本全国平均の人口推移を見てみますと、1950年から2005年に8300万から1億2800万と1.5倍に増えていますが、3大都市圏(東京・大阪・名古屋)以外の県では1.18倍にすぎません。
ところが、沖縄では70万から135万へと1.92倍に増えています。
沖縄が他県なみの1.18倍の伸び率だとしたら、人口は83万人程度のはずです。
現在の135万との差52万人は戦後沖縄独自の原因(すなわち、基地の存在)ということになると思います。
人口増から見た基地の経済効果は38.5%ということになります。
県広報の金額ベースのGNPから見た5%とは大きな開きがありますね。
基地に伴う公共事業の増加で食い扶持が増えたため、人口も増加できたと思われます。
ちなみに、名護市を含む北部の人口を見ると、1950年の14.5万から2005年の12.7万と減少しています。
観光地として脚光を浴びている宮古と石垣の人口も11.8万から10.6万と減少しています。
一方、基地があり、住みにくいはずの中部は19.8万から57.7万と2.9倍もの伸び率です。
(那覇を抜いて沖縄topの伸び率です)
産業が無い地域や、有っても観光産業程度では人口を養なうことができないという例です。
追伸
この記事の趣旨は、基地が撤去されたら、県民の38.5%にあたる52万人が経済的に破綻し、生活できなくなるということを論証することです。
基地撤去が県民の4割近くを破産に導くということです。
基地撤去すれば、沖縄に新しい産業ができて、ばら色の未来になると思う人は、夕張市が炭鉱閉山後、映画祭やロボット館などで観光事業に精を出し、その結果、返って借金を増やして破産に至ったことをもっと勉強すべきだと思います。
県は軍関係支出を5%程度と広報していますが、この中には基地外にある外人住宅の建築費などは民間取引という理屈で参入していません。また、軍用地料を担保にして、レストランなどを開業する場合の経済効果についても考慮されてません。県職員労組が、軍関係支出は微々たるもので、基地返還しても影響は小さいと強弁するため、意図的に過小操作していると言わざるを得ません。
引用データ
よくわかる日本の人口
http://group.dai-ichi-life.co.jp/dlri/monthly/pdf/0601_9.pdf
沖縄県勢のあらまし8~11頁
http://www3.pref.okinawa.jp/site/contents/attach/5289/001.pdf
食い扶持を求めて、本土や海外への出稼ぎも多く、今は世界のウチナンチューとして成功している人たちの往時の苦労が偲ばれます。
しかし、戦後、基地で占領され、住みにくいはずの沖縄には多くの人口が増えました。
日本全国平均の人口推移を見てみますと、1950年から2005年に8300万から1億2800万と1.5倍に増えていますが、3大都市圏(東京・大阪・名古屋)以外の県では1.18倍にすぎません。
ところが、沖縄では70万から135万へと1.92倍に増えています。
沖縄が他県なみの1.18倍の伸び率だとしたら、人口は83万人程度のはずです。
現在の135万との差52万人は戦後沖縄独自の原因(すなわち、基地の存在)ということになると思います。
人口増から見た基地の経済効果は38.5%ということになります。
県広報の金額ベースのGNPから見た5%とは大きな開きがありますね。
基地に伴う公共事業の増加で食い扶持が増えたため、人口も増加できたと思われます。
ちなみに、名護市を含む北部の人口を見ると、1950年の14.5万から2005年の12.7万と減少しています。
観光地として脚光を浴びている宮古と石垣の人口も11.8万から10.6万と減少しています。
一方、基地があり、住みにくいはずの中部は19.8万から57.7万と2.9倍もの伸び率です。
(那覇を抜いて沖縄topの伸び率です)
産業が無い地域や、有っても観光産業程度では人口を養なうことができないという例です。
追伸
この記事の趣旨は、基地が撤去されたら、県民の38.5%にあたる52万人が経済的に破綻し、生活できなくなるということを論証することです。
基地撤去が県民の4割近くを破産に導くということです。
基地撤去すれば、沖縄に新しい産業ができて、ばら色の未来になると思う人は、夕張市が炭鉱閉山後、映画祭やロボット館などで観光事業に精を出し、その結果、返って借金を増やして破産に至ったことをもっと勉強すべきだと思います。
県は軍関係支出を5%程度と広報していますが、この中には基地外にある外人住宅の建築費などは民間取引という理屈で参入していません。また、軍用地料を担保にして、レストランなどを開業する場合の経済効果についても考慮されてません。県職員労組が、軍関係支出は微々たるもので、基地返還しても影響は小さいと強弁するため、意図的に過小操作していると言わざるを得ません。
引用データ
よくわかる日本の人口
http://group.dai-ichi-life.co.jp/dlri/monthly/pdf/0601_9.pdf
沖縄県勢のあらまし8~11頁
http://www3.pref.okinawa.jp/site/contents/attach/5289/001.pdf
2006年01月17日
美浜地区の場合(コメントへの意見)
コメントへの意見です
----------以下 コメント引用開始-----------------------------
北谷ハンビー飛行場の軍用地返還による経済発展は瞠目にあたいする。以下はその実績である。
返還時の資産価格 231億円
返還後の資産価格 591億円
返還時の地主の軍用地代 2億円
返還後の地主の地代 5億5000万円(平成13年度)
返還時の基地従業員 約100名
返還後の民間従業員 9,657名(平成11年度)
返還時の基地従業員の年間給与 2億8,900万円
返還後の民間従業員の年間給与 343億9,528万円(平成11年時点)
返還時の企業数 0
返還後の企業数 1,272 (平成11年)
返還時の北谷町の固定資産税 0 円
返還後の北谷町の固定資産税 1億8,500万円
1998年沖縄県基地対策室作成
-----------------コメント引用終了--------------------------
美浜地区の跡地利用は、数少ない成功例と言えるでしょう。
でも、美浜地区が繁栄しているのは、他の地域の顧客を吸い寄せたからであることも明らかですよね。
美浜地区が繁盛しているかげで、沖縄市などの旧商業地が衰退していることもご存じでしょう。
つまり、パイが増えない限り、一つの地域が繁栄すれば、他の地域が衰退するというのが当たり前な訳です。
実際、美浜の後に、那覇新都心地区開発ができると、今度は美浜の客が新都心に流れて、売上げが落ちました。
基地の跡地利用がすべて、美浜地区のように成功する訳はありません。
ショッピングセンターが何カ所も出来て、同時に、それら全部が繁盛するなどあり得ると思いますか?
美浜地区の成功には、別の要因もあります。それは、基地のそばだからですよ。美浜地区はアメリカンビレッジというスタイルで基地関連客を取り込んだが故に、成功できたのです。実際、この地区のステーキ屋さん(四季)に聞いたら、売上げの半分以上は外人客ということです。もし、顧客の基地自身が無くなったら、跡地自身の繁栄すら危ういのですよ。別文でも書いたように、沖縄には遊休地や開発地区が今でもたくさんあります。これ以上の跡地も、空き地も、過剰ぎみなのですよ。基地以上の稼ぎをもたらす産業があるなど、幻想にすぎません。
基地撤去が沖縄経済に果たしてプラスなのかマイナスなのかについて、
来間ー丸山論争というのがありました。詳しくは以下のHPにあります。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~WHOYOU/kurima.htm
結論として、来間氏が詳細な経済データを駆使して、基地の経済損失論を論破しています。
来間氏自身は基地撤去推進派です。氏の主張には納得のいく点も多いのですが、
基地が撤去されたら、経済的には打撃となるが、致命的ではないという点だけ、私には納得できません。
恐らく来間氏も、桑江以南の基地一括返還までは想定していない訳でしょうが...。
追伸:この記事の趣旨は基地撤去すれば、その跡地に、ショッピングセンターなどができて、より繁栄するという幻想を批判するための記事です。沖縄には工業用地や商業用地が現状でも不足しているわけではありません。埋立地の工業団地など、今でもたくさん空いたままです。内地の企業などに誘致しても集まらないから、沖縄の失業率が高いままなのです。
基地が返還され空き地が増えても、誘致が増えるという保証は全くありません。基地に代わる産業を見つければ良いと基地反対派の人は言いますが、具体的な展望など示されたこともありません。基地撤去で県民の多くが路頭に迷うことは確実です。そのような苦しみを与えてまで、基地撤去する正義なんて、利己主義にほかなりません。
追記:2010/5/8
来間ー丸山論争のリンク先が削除されていました。来間氏の主張はhttp://www.jca.apc.org/HHK/Tsushin/138/138_ku.htmlで見ることができます。氏は基地反対派で、私と立場は異なりますが、問題点として指摘されている事で賛同できる点は多いです。参考になるので、是非、ご覧下さい。
----------以下 コメント引用開始-----------------------------
北谷ハンビー飛行場の軍用地返還による経済発展は瞠目にあたいする。以下はその実績である。
返還時の資産価格 231億円
返還後の資産価格 591億円
返還時の地主の軍用地代 2億円
返還後の地主の地代 5億5000万円(平成13年度)
返還時の基地従業員 約100名
返還後の民間従業員 9,657名(平成11年度)
返還時の基地従業員の年間給与 2億8,900万円
返還後の民間従業員の年間給与 343億9,528万円(平成11年時点)
返還時の企業数 0
返還後の企業数 1,272 (平成11年)
返還時の北谷町の固定資産税 0 円
返還後の北谷町の固定資産税 1億8,500万円
1998年沖縄県基地対策室作成
-----------------コメント引用終了--------------------------
美浜地区の跡地利用は、数少ない成功例と言えるでしょう。
でも、美浜地区が繁栄しているのは、他の地域の顧客を吸い寄せたからであることも明らかですよね。
美浜地区が繁盛しているかげで、沖縄市などの旧商業地が衰退していることもご存じでしょう。
つまり、パイが増えない限り、一つの地域が繁栄すれば、他の地域が衰退するというのが当たり前な訳です。
実際、美浜の後に、那覇新都心地区開発ができると、今度は美浜の客が新都心に流れて、売上げが落ちました。
基地の跡地利用がすべて、美浜地区のように成功する訳はありません。
ショッピングセンターが何カ所も出来て、同時に、それら全部が繁盛するなどあり得ると思いますか?
美浜地区の成功には、別の要因もあります。それは、基地のそばだからですよ。美浜地区はアメリカンビレッジというスタイルで基地関連客を取り込んだが故に、成功できたのです。実際、この地区のステーキ屋さん(四季)に聞いたら、売上げの半分以上は外人客ということです。もし、顧客の基地自身が無くなったら、跡地自身の繁栄すら危ういのですよ。別文でも書いたように、沖縄には遊休地や開発地区が今でもたくさんあります。これ以上の跡地も、空き地も、過剰ぎみなのですよ。基地以上の稼ぎをもたらす産業があるなど、幻想にすぎません。
基地撤去が沖縄経済に果たしてプラスなのかマイナスなのかについて、
来間ー丸山論争というのがありました。詳しくは以下のHPにあります。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~WHOYOU/kurima.htm
結論として、来間氏が詳細な経済データを駆使して、基地の経済損失論を論破しています。
来間氏自身は基地撤去推進派です。氏の主張には納得のいく点も多いのですが、
基地が撤去されたら、経済的には打撃となるが、致命的ではないという点だけ、私には納得できません。
恐らく来間氏も、桑江以南の基地一括返還までは想定していない訳でしょうが...。
追伸:この記事の趣旨は基地撤去すれば、その跡地に、ショッピングセンターなどができて、より繁栄するという幻想を批判するための記事です。沖縄には工業用地や商業用地が現状でも不足しているわけではありません。埋立地の工業団地など、今でもたくさん空いたままです。内地の企業などに誘致しても集まらないから、沖縄の失業率が高いままなのです。
基地が返還され空き地が増えても、誘致が増えるという保証は全くありません。基地に代わる産業を見つければ良いと基地反対派の人は言いますが、具体的な展望など示されたこともありません。基地撤去で県民の多くが路頭に迷うことは確実です。そのような苦しみを与えてまで、基地撤去する正義なんて、利己主義にほかなりません。
追記:2010/5/8
来間ー丸山論争のリンク先が削除されていました。来間氏の主張はhttp://www.jca.apc.org/HHK/Tsushin/138/138_ku.htmlで見ることができます。氏は基地反対派で、私と立場は異なりますが、問題点として指摘されている事で賛同できる点は多いです。参考になるので、是非、ご覧下さい。
2006年01月17日
平和について(コメントへの感想)
沖縄だけが基地負担の重圧を受けている」というネガティブな被害者意識だけでは、沖縄の未来は切り開けないと思います。
むしろ、その負の要因を何とか転じてみようというポジティブな未来志向こそ大事なのではないでしょうか。
基地を迷惑施設と見て排斥しようとする意識は、「他民族(他宗教)とはうまくやっていけない。他民族を追い出しさえすれば平和になる」という意識を導きかねません。
私は、そのような意識こそ戦争の源になると思います。
基地は無論、怖いですよ。低空で着陸態勢に入る戦闘機をまじかに見るとき、あれが事故って、こちらに突っ込んで来るかもしれないと恐怖に苛まれる(さいなまれる)こともあります。
でも、だからと言って、他の地域にこの恐怖を押し付けようとは思わないし、この恐怖感で慰謝料なり迷惑料を請求しようとも思わないです。
(そのような意図で補助金を獲得しようという浅ましさも嫌です)
このような恐怖と向き合っているからこそ、平和の大切さを忘れまいと自省する材料に転化すれば良いのです。
できれば、あれが戦闘機でなく救援物資を積んで被災地に向かう輸送機にしたいと思うだけです。
基地が救助訓練や災害復興訓練をメインとするような基地に内部変革したいと願っているだけです。
基地に危険があることは確かだし、被害が予想される住民が、その危険対策に万全を要求するのも当然です。でも、基地被害と全く関係のない南部地域の人が基地の撤去を叫ぶのは、単なる政治イデオロギーの押しつけにすぎないでしょう。私は北谷町に住んでいますが、基地被害を過重負担だと思っていません。しかし、過重負担と感じる人がいれば、その人の移転費用の補償などで対応すべきと思います。被害がある、即、基地撤去すべしという論理では、基地で生計を立てている人を無視しすぎることになるでしょう。車は排気ガスで空気を汚す、即、すべて車を廃棄せよと言う論理が成り立たないのと同じでしょう。
私は軍事力のみで平和が維持されるなんて思っていませんし、兵士ですらそんなバカげた妄想を持っていませんよ。
むしろ兵士達こそ「戦争」が嫌いと思っている人が多くいるのが現実でしよう。
兵士達にはカトリーナ台風で判明したように、車すら所有できないような低所得階層、兵士にしかなれない社会的弱者が多くいるのです。彼らは戦争が好きで兵士になったのではなく、生活のために兵士を選ばざるを得なかったのです。無論、中には聖戦気分で正義のヒーローに取り憑かれた愚か者もいるでしょうが、だからこそ、沖縄で彼らを「教育」する使命があるのです。
「平穏」になるだけなら、基地を撤去すれば足りますが、本当の「平和」のためには、彼らと付き合い、彼らに平和の種を植え付けねばならないはずです。
それを避けて安楽な道を選んだら、それこそ沖縄戦での犠牲者たちが浮かばれません。
「基地を撤去しないで、内部変革なんぞ、それこそ夢物語にすぎない。」と批判される向きもあるでしょう。確かに、個人的な兵士との交流より、政治的な支配力学の方がドラステックな効果がありそうです。
しかし平和主義が政治勢力と結び付くと、とたんに嫌らしい自己宣伝の場、自分たちの勢力維持の手段に化けてしまいます。
兵士達の内部変革は時間はかかりますが、一番確実で効果があるのです。戦争を無くそうという試みは人類が長年追い求めてきたものです。
そんなに簡単に実現できることはありません。50年先100年先のことを見据える構えが必要です。
でも、例えば、米軍兵士たちの退役は38歳から始まる訳です。(18歳入隊で20年勤務。下士官候補は別)
彼らが退役した後も、現役社会人世代として、米国社会の中核を担うのです。
沖縄で学んだことが、彼らを通じて米国の世論や社会意識形成に影響をあたえる可能性が大きいのです。
沖縄を第2の故郷と感じるような温かいもてなしと印象づくりこそ、平和運動の礎です。
鉢巻姿で彼らに背を向け、怒りの拳を突き上げることが、如何に愚かで本当の平和運動の妨げになることか....嘆かわしいです。
無論、米軍人とだけ仲良くなっても意義は大きくありません。イラクのテロリストや北朝鮮の人たちとも交流を深めるべきです。
「そんな対話や交流は子供じみている」と政治家たちは髙笑いするだけでしょう。政治家は自分の手柄や業績になりそうにもないことには目も向けません。
しかし、語学の壁さえ取り外せば、インターネットでお互いの意思伝達が自由な時代になっているのです。仮に、世界各国の言語で自由に翻訳できる語学のスペシャリストたちを200人常駐できるような設備を作り、政治家以外の各国の一般人のあらゆる意見や考えをお互いに伝え合えるような交流組織が沖縄にできれば、どれほど平和に役立つことでしょう。
平和はイデオロギーの押し付けでは構築できません。生身の声と意見を吸い上げ、お互いの誤解と偏見を取り除く地道な対話の努力だけが平和建設の鍵です。
次に、沖縄経済の自立のためにも、沖縄軍人たちのこの第2の人生が役立つはずです。
沖縄県は金融特区構想として、沖縄を香港やシンガポールなどに真似て活性化を企画しているようですが、国際化すらできない地域に未来はありません。
香港・シンガポール・マカオなど何れも多国籍対応で当たり前のように英語が通じる地域ですよ。沖縄が免税とかの制度だけをどんなに真似ても、これらの地域に太刀打ちできるわけがありません。
東京にどれだけの在留外国人がいるか、ご存知ですか。約27,000人です。開発途上国からの出稼ぎ者ばかりだろう?って。とんでもありません。専門的・技術職者が10,000人いるのです。
日産自動車、マツダ、SONYなど外国人経営者すら珍しくない時勢です。経済発展している地域も会社も例外なく、国際化を成し遂げた所なのです。沖縄のような島で、これだけの人口を養える産業をどうして構築できるのか、それを考えたときに、この基地との交流財産こそ沖縄活性化の鍵であると断言できます。基地以外の沖縄の特質など、聞いたこともありませんし、基地に代わる具体策など示されたこともありません。
基地を人里離れた辺鄙な場所に移すことで、事故などは減るかもしれませんが、経済的にも、平和のためにもメリットはありません。彼らの基地内住居をすべて基地外民間地域に移し、地元との交流・特に青少年の語学教育に沖縄関連予算をつぎ込むことが、沖縄のために大事な施策です。
沖縄を攻めに来た「侵略者」が居座り続ける「悪魔の島」というレッテルを貼られたことに、「愚痴」や「怒り」をぶつけてみても問題が解決することはないでしょう。
私は「鬼」が居座る「鬼が島」であっても、『今まで人間とは相容れないと思われていた「鬼」とすら平和に共存できるという奇跡を世界に実証しよう』という前向きな努力をするべきだと考えます。
余談ですが「桃太郎」の続編にあたる「鬼が島の李太郎」という感動的な物語を見つけました。
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/7211/Japanese/sumomotaroj.html
とても含蓄のある大人のための創作童話です。
むしろ、その負の要因を何とか転じてみようというポジティブな未来志向こそ大事なのではないでしょうか。
基地を迷惑施設と見て排斥しようとする意識は、「他民族(他宗教)とはうまくやっていけない。他民族を追い出しさえすれば平和になる」という意識を導きかねません。
私は、そのような意識こそ戦争の源になると思います。
基地は無論、怖いですよ。低空で着陸態勢に入る戦闘機をまじかに見るとき、あれが事故って、こちらに突っ込んで来るかもしれないと恐怖に苛まれる(さいなまれる)こともあります。
でも、だからと言って、他の地域にこの恐怖を押し付けようとは思わないし、この恐怖感で慰謝料なり迷惑料を請求しようとも思わないです。
(そのような意図で補助金を獲得しようという浅ましさも嫌です)
このような恐怖と向き合っているからこそ、平和の大切さを忘れまいと自省する材料に転化すれば良いのです。
できれば、あれが戦闘機でなく救援物資を積んで被災地に向かう輸送機にしたいと思うだけです。
基地が救助訓練や災害復興訓練をメインとするような基地に内部変革したいと願っているだけです。
基地に危険があることは確かだし、被害が予想される住民が、その危険対策に万全を要求するのも当然です。でも、基地被害と全く関係のない南部地域の人が基地の撤去を叫ぶのは、単なる政治イデオロギーの押しつけにすぎないでしょう。私は北谷町に住んでいますが、基地被害を過重負担だと思っていません。しかし、過重負担と感じる人がいれば、その人の移転費用の補償などで対応すべきと思います。被害がある、即、基地撤去すべしという論理では、基地で生計を立てている人を無視しすぎることになるでしょう。車は排気ガスで空気を汚す、即、すべて車を廃棄せよと言う論理が成り立たないのと同じでしょう。
私は軍事力のみで平和が維持されるなんて思っていませんし、兵士ですらそんなバカげた妄想を持っていませんよ。
むしろ兵士達こそ「戦争」が嫌いと思っている人が多くいるのが現実でしよう。
兵士達にはカトリーナ台風で判明したように、車すら所有できないような低所得階層、兵士にしかなれない社会的弱者が多くいるのです。彼らは戦争が好きで兵士になったのではなく、生活のために兵士を選ばざるを得なかったのです。無論、中には聖戦気分で正義のヒーローに取り憑かれた愚か者もいるでしょうが、だからこそ、沖縄で彼らを「教育」する使命があるのです。
「平穏」になるだけなら、基地を撤去すれば足りますが、本当の「平和」のためには、彼らと付き合い、彼らに平和の種を植え付けねばならないはずです。
それを避けて安楽な道を選んだら、それこそ沖縄戦での犠牲者たちが浮かばれません。
「基地を撤去しないで、内部変革なんぞ、それこそ夢物語にすぎない。」と批判される向きもあるでしょう。確かに、個人的な兵士との交流より、政治的な支配力学の方がドラステックな効果がありそうです。
しかし平和主義が政治勢力と結び付くと、とたんに嫌らしい自己宣伝の場、自分たちの勢力維持の手段に化けてしまいます。
兵士達の内部変革は時間はかかりますが、一番確実で効果があるのです。戦争を無くそうという試みは人類が長年追い求めてきたものです。
そんなに簡単に実現できることはありません。50年先100年先のことを見据える構えが必要です。
でも、例えば、米軍兵士たちの退役は38歳から始まる訳です。(18歳入隊で20年勤務。下士官候補は別)
彼らが退役した後も、現役社会人世代として、米国社会の中核を担うのです。
沖縄で学んだことが、彼らを通じて米国の世論や社会意識形成に影響をあたえる可能性が大きいのです。
沖縄を第2の故郷と感じるような温かいもてなしと印象づくりこそ、平和運動の礎です。
鉢巻姿で彼らに背を向け、怒りの拳を突き上げることが、如何に愚かで本当の平和運動の妨げになることか....嘆かわしいです。
無論、米軍人とだけ仲良くなっても意義は大きくありません。イラクのテロリストや北朝鮮の人たちとも交流を深めるべきです。
「そんな対話や交流は子供じみている」と政治家たちは髙笑いするだけでしょう。政治家は自分の手柄や業績になりそうにもないことには目も向けません。
しかし、語学の壁さえ取り外せば、インターネットでお互いの意思伝達が自由な時代になっているのです。仮に、世界各国の言語で自由に翻訳できる語学のスペシャリストたちを200人常駐できるような設備を作り、政治家以外の各国の一般人のあらゆる意見や考えをお互いに伝え合えるような交流組織が沖縄にできれば、どれほど平和に役立つことでしょう。
平和はイデオロギーの押し付けでは構築できません。生身の声と意見を吸い上げ、お互いの誤解と偏見を取り除く地道な対話の努力だけが平和建設の鍵です。
次に、沖縄経済の自立のためにも、沖縄軍人たちのこの第2の人生が役立つはずです。
沖縄県は金融特区構想として、沖縄を香港やシンガポールなどに真似て活性化を企画しているようですが、国際化すらできない地域に未来はありません。
香港・シンガポール・マカオなど何れも多国籍対応で当たり前のように英語が通じる地域ですよ。沖縄が免税とかの制度だけをどんなに真似ても、これらの地域に太刀打ちできるわけがありません。
東京にどれだけの在留外国人がいるか、ご存知ですか。約27,000人です。開発途上国からの出稼ぎ者ばかりだろう?って。とんでもありません。専門的・技術職者が10,000人いるのです。
日産自動車、マツダ、SONYなど外国人経営者すら珍しくない時勢です。経済発展している地域も会社も例外なく、国際化を成し遂げた所なのです。沖縄のような島で、これだけの人口を養える産業をどうして構築できるのか、それを考えたときに、この基地との交流財産こそ沖縄活性化の鍵であると断言できます。基地以外の沖縄の特質など、聞いたこともありませんし、基地に代わる具体策など示されたこともありません。
基地を人里離れた辺鄙な場所に移すことで、事故などは減るかもしれませんが、経済的にも、平和のためにもメリットはありません。彼らの基地内住居をすべて基地外民間地域に移し、地元との交流・特に青少年の語学教育に沖縄関連予算をつぎ込むことが、沖縄のために大事な施策です。
沖縄を攻めに来た「侵略者」が居座り続ける「悪魔の島」というレッテルを貼られたことに、「愚痴」や「怒り」をぶつけてみても問題が解決することはないでしょう。
私は「鬼」が居座る「鬼が島」であっても、『今まで人間とは相容れないと思われていた「鬼」とすら平和に共存できるという奇跡を世界に実証しよう』という前向きな努力をするべきだと考えます。
余談ですが「桃太郎」の続編にあたる「鬼が島の李太郎」という感動的な物語を見つけました。
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/7211/Japanese/sumomotaroj.html
とても含蓄のある大人のための創作童話です。
2005年12月24日
本当の平和運動とは
「基地・軍隊は有益なものを何も生み出さない。破壊と殺戮のためにあるだけ。だから撤去するのが当たり前。」このような考えを持つことは自由です。しかし、基地が有益なものを生み出さないというのは明確な誤りです。
基地が北朝鮮などの脅威に対抗するための抑止力になっているという事実を無視して良いのでしょうか。ヘリ事故などで基地の危険性ばかりが強調されていますが、基地が無ければ、この抑止力も無くなり、危険以上の脅威に怯えなければなりません。
基地が戦争を起こすのではありません。戦争が起きないよう基地があるのです。たとえば、犯罪の予防のため、警察があるのであって、警察がなくなれば、犯罪がなくなる訳ではありません。無論、犯罪が根絶できれば、警察も不要になりますが、警察を先に無くしたら、一層、犯罪を増やしてしまうことになるでしょう。
無論、基地で事故が起きたなら、その原因を究明し補償などを充実すべきですが、いきなり基地撤去を叫ぶことは論理が通りません。
戦争に反対し、平和を求める心は軍人にも共通です。諸外国には軍隊・徴兵制・予備役制があるのが普通です。「良心的兵役拒否」も認められていますが、代わりに、社会奉仕活動が義務づけられます。つまり、諸外国では、軍役は社会奉仕であり、国民の義務と考えられているのです。
基地を平和の対極と見なし、「基地が無くならない限り平和はない」とか「軍人を殺人鬼のように敵対視する」思想はこれら諸外国の文化そのものを否定する、危険な一人よがりな考えではないでしょうか?一人よがりはテロリストの硬直した独善思想にも合い通じ、実際には平和のためにはむしろ危険そのものです。
私の知る軍人家族のほとんどは、とても優しい紳士・淑女で、自らの仕事に誇りを持つとともに、平和を愛し、信義・約束を大切に守ります。沖縄文化を受け入れ、地域に溶け込もうと努力しています。無論、犯罪を犯す者が居ない訳ではありませんが、軍人1人の個人的犯罪を軍人全体の体質と断定し、軍全体の責任を問うような報道姿勢は理不尽です。仮に沖縄県民の誰かが犯罪を犯したら、沖縄県民全員がその罪を背負わねばならないのでしょうか?
戦争を起こす本質的な要因は「偏見」にあります。異教徒や異民族を敵視することと軍人を敵視することに本質的な差があるでしょうか。真実の平和を築くためにはこの「偏見」こそ取り除く必要があるのであって、基地さえ取り除けば平和になると考えるのは本末転倒しています。
この本質を見誤れば、「平和のための戦争」すら可能になります。事実、現代の戦争やテロは「自分たちの平和を守るため」という大義名分の下に行われる事がほとんどです。個人的な憎しみの感情が戦争に拡大することはまれですが、それが偏見にまで増幅すれば、戦争をおこす原因になるのです。
米軍基地には5万人の軍人・軍属家族がいます。これだけの外国人がいることにメリットはないのでしょうか。
沖縄は地理的に諸外国との交易の要に位置します。沖縄は歴史的にもこの交易、つまり外国との交流の中に、繁栄の礎があったのです。世界に誇れる繊細な琉球文化は中国をはじめとする異文化交流の賜物です。
琉球だけではありません。歴史的な文化・経済の繁栄都市はほとんど例外なく、異文化の交流地点です。沖縄が地理的にアジアの要(上海まで820km、65分)であり、かつアメリカとの接点も多いということは極めて重要で大切な資源です。この大切な資源を活用しなければ沖縄の未来はありません。
大学院大学など、沖縄が国際的に認知され、国際ビジネスの拠点となるためにも、この5万人の存在は貴重でまたとない人的資源です。英語教育の掛け声ばかりを連呼しても成果はあがりません。身近な存在として5万人との交流を深めることが、文化・教育の質を高めることにつながります。
彼らを排斥していては、外国人観光客すら寄り付かなくなります。
ちなみに沖縄には500万人の観光客が来ていますが、その内、外国人はわずか15万人程度で、しかもその8割は台湾からの観光客です。沖縄が世界に羽ばたくためには、自らの偏狭な殻を破らねばなりません。世界で活躍するウチナンチューたちを見習い、国際的な常識が通じるセンスを磨かねば、孤立化・閉塞化して、観光立県もできぬまま窒息してしまいます。
基地を撤去・削減することが平和運動なのでしょうか?沖縄の平和運動には逆説的ですが、基地が不可欠です。基地があるからこそ、平和運動が成り立つのです。
沖縄の美しい自然と過密で怖い基地、戦闘機の騒音と繊細な琉球舞踊、事故への心配と竜宮城伝説の優しい心、これらは矛盾するからこそ、一層の存在感を際立たせていると言えないでしょうか。
基地が平和に役立たないと本当に信じるなら、それを訴えるべき相手は、正に軍人であるべきです。軍人を説得できない平和論はそれ自身、何の説得力もありません。「自分と相容れない人間を常に排除していく」ような運動が「平和運動」と呼べるでしょうか?なぜ、優しい兵士たちが、優しいが故に兵士になったのか、兵士たちを人間扱いし、胸襟を開いて語り合う中から、本当の平和運動が成立します。偏見こそが敵なのであって、人間を敵にしてはなりません。
基地を破壊と殺戮の場と非難することは簡単でしょう。本当に必要なのは、基地にたとえば、災害救助隊や人命救助隊のような役割を付加していこうとする地道な努力です。
基地が人類にとって全く無駄な施設と感じたなら、なぜ、一方でそこで働く兵士たちを救おうとしないのでしょうか?兵士たちの思いや人間性を無視する平和運動は単なる嫌らしい政治的プロパギャンダにすぎません。
ましてや、自分の生活圏から基地が移転してくれたら良しとする平和運動はごまかしにすぎません。目の前から「問題」が見えなくなれば、その「問題」が解決する訳ではありません。自分の周りに「危険」がなくなれば、あるいはどこかに「危険」をたらい回しにすれば「平和」になるのでしょうか?。
軍人を危険をもたらす厄介人と反感を持つより、彼らこそ危険の真っただ中にいる被害者と感じる優しさの心こそ、平和には大切なのではないでしょうか。
沖縄が「戦争の悲惨」を叫び、真の平和を願うなら、あえて「基地」を常に身近に置くべきです。「基地」を無くすことが目的ではなく、「戦争」を無くすことが目的なら、「戦争」と直接向き合うことを仕事とする兵士たちの声を聞くことが、第一に大切なはずです。そして、そのために、基地の閉鎖性を打破することをめざし、[良き隣人」以上の「友人」関係を築きましょう。
基地は確かに、危険や騒音をもたらします。でも、だからこそ、他の人や地域に押しつけるような事には反対すべきなのです。
沖縄は筆舌に尽くしがたい戦争惨禍を受けてきました。でも、その惨禍があった故に、平和の心を忘れないのです。基地を現存させることで、その危険や被害があるからこそ、この平和の心が続くのです。
平和は選挙運動やデモ行進で築かれるものではありません。勢力誇示や怒りの拳や背中を向ける姿で平和は築けません。平和は自分の心の偏見との戦いです。軍人家族との交流から、軍や基地を内部から変革してゆく平和運動こそ、沖縄に求められている、歴史的な使命であると私は思うのです。
基地が北朝鮮などの脅威に対抗するための抑止力になっているという事実を無視して良いのでしょうか。ヘリ事故などで基地の危険性ばかりが強調されていますが、基地が無ければ、この抑止力も無くなり、危険以上の脅威に怯えなければなりません。
基地が戦争を起こすのではありません。戦争が起きないよう基地があるのです。たとえば、犯罪の予防のため、警察があるのであって、警察がなくなれば、犯罪がなくなる訳ではありません。無論、犯罪が根絶できれば、警察も不要になりますが、警察を先に無くしたら、一層、犯罪を増やしてしまうことになるでしょう。
無論、基地で事故が起きたなら、その原因を究明し補償などを充実すべきですが、いきなり基地撤去を叫ぶことは論理が通りません。
戦争に反対し、平和を求める心は軍人にも共通です。諸外国には軍隊・徴兵制・予備役制があるのが普通です。「良心的兵役拒否」も認められていますが、代わりに、社会奉仕活動が義務づけられます。つまり、諸外国では、軍役は社会奉仕であり、国民の義務と考えられているのです。
基地を平和の対極と見なし、「基地が無くならない限り平和はない」とか「軍人を殺人鬼のように敵対視する」思想はこれら諸外国の文化そのものを否定する、危険な一人よがりな考えではないでしょうか?一人よがりはテロリストの硬直した独善思想にも合い通じ、実際には平和のためにはむしろ危険そのものです。
私の知る軍人家族のほとんどは、とても優しい紳士・淑女で、自らの仕事に誇りを持つとともに、平和を愛し、信義・約束を大切に守ります。沖縄文化を受け入れ、地域に溶け込もうと努力しています。無論、犯罪を犯す者が居ない訳ではありませんが、軍人1人の個人的犯罪を軍人全体の体質と断定し、軍全体の責任を問うような報道姿勢は理不尽です。仮に沖縄県民の誰かが犯罪を犯したら、沖縄県民全員がその罪を背負わねばならないのでしょうか?
戦争を起こす本質的な要因は「偏見」にあります。異教徒や異民族を敵視することと軍人を敵視することに本質的な差があるでしょうか。真実の平和を築くためにはこの「偏見」こそ取り除く必要があるのであって、基地さえ取り除けば平和になると考えるのは本末転倒しています。
この本質を見誤れば、「平和のための戦争」すら可能になります。事実、現代の戦争やテロは「自分たちの平和を守るため」という大義名分の下に行われる事がほとんどです。個人的な憎しみの感情が戦争に拡大することはまれですが、それが偏見にまで増幅すれば、戦争をおこす原因になるのです。
米軍基地には5万人の軍人・軍属家族がいます。これだけの外国人がいることにメリットはないのでしょうか。
沖縄は地理的に諸外国との交易の要に位置します。沖縄は歴史的にもこの交易、つまり外国との交流の中に、繁栄の礎があったのです。世界に誇れる繊細な琉球文化は中国をはじめとする異文化交流の賜物です。
琉球だけではありません。歴史的な文化・経済の繁栄都市はほとんど例外なく、異文化の交流地点です。沖縄が地理的にアジアの要(上海まで820km、65分)であり、かつアメリカとの接点も多いということは極めて重要で大切な資源です。この大切な資源を活用しなければ沖縄の未来はありません。
大学院大学など、沖縄が国際的に認知され、国際ビジネスの拠点となるためにも、この5万人の存在は貴重でまたとない人的資源です。英語教育の掛け声ばかりを連呼しても成果はあがりません。身近な存在として5万人との交流を深めることが、文化・教育の質を高めることにつながります。
彼らを排斥していては、外国人観光客すら寄り付かなくなります。
ちなみに沖縄には500万人の観光客が来ていますが、その内、外国人はわずか15万人程度で、しかもその8割は台湾からの観光客です。沖縄が世界に羽ばたくためには、自らの偏狭な殻を破らねばなりません。世界で活躍するウチナンチューたちを見習い、国際的な常識が通じるセンスを磨かねば、孤立化・閉塞化して、観光立県もできぬまま窒息してしまいます。
基地を撤去・削減することが平和運動なのでしょうか?沖縄の平和運動には逆説的ですが、基地が不可欠です。基地があるからこそ、平和運動が成り立つのです。
沖縄の美しい自然と過密で怖い基地、戦闘機の騒音と繊細な琉球舞踊、事故への心配と竜宮城伝説の優しい心、これらは矛盾するからこそ、一層の存在感を際立たせていると言えないでしょうか。
基地が平和に役立たないと本当に信じるなら、それを訴えるべき相手は、正に軍人であるべきです。軍人を説得できない平和論はそれ自身、何の説得力もありません。「自分と相容れない人間を常に排除していく」ような運動が「平和運動」と呼べるでしょうか?なぜ、優しい兵士たちが、優しいが故に兵士になったのか、兵士たちを人間扱いし、胸襟を開いて語り合う中から、本当の平和運動が成立します。偏見こそが敵なのであって、人間を敵にしてはなりません。
基地を破壊と殺戮の場と非難することは簡単でしょう。本当に必要なのは、基地にたとえば、災害救助隊や人命救助隊のような役割を付加していこうとする地道な努力です。
基地が人類にとって全く無駄な施設と感じたなら、なぜ、一方でそこで働く兵士たちを救おうとしないのでしょうか?兵士たちの思いや人間性を無視する平和運動は単なる嫌らしい政治的プロパギャンダにすぎません。
ましてや、自分の生活圏から基地が移転してくれたら良しとする平和運動はごまかしにすぎません。目の前から「問題」が見えなくなれば、その「問題」が解決する訳ではありません。自分の周りに「危険」がなくなれば、あるいはどこかに「危険」をたらい回しにすれば「平和」になるのでしょうか?。
軍人を危険をもたらす厄介人と反感を持つより、彼らこそ危険の真っただ中にいる被害者と感じる優しさの心こそ、平和には大切なのではないでしょうか。
沖縄が「戦争の悲惨」を叫び、真の平和を願うなら、あえて「基地」を常に身近に置くべきです。「基地」を無くすことが目的ではなく、「戦争」を無くすことが目的なら、「戦争」と直接向き合うことを仕事とする兵士たちの声を聞くことが、第一に大切なはずです。そして、そのために、基地の閉鎖性を打破することをめざし、[良き隣人」以上の「友人」関係を築きましょう。
基地は確かに、危険や騒音をもたらします。でも、だからこそ、他の人や地域に押しつけるような事には反対すべきなのです。
沖縄は筆舌に尽くしがたい戦争惨禍を受けてきました。でも、その惨禍があった故に、平和の心を忘れないのです。基地を現存させることで、その危険や被害があるからこそ、この平和の心が続くのです。
平和は選挙運動やデモ行進で築かれるものではありません。勢力誇示や怒りの拳や背中を向ける姿で平和は築けません。平和は自分の心の偏見との戦いです。軍人家族との交流から、軍や基地を内部から変革してゆく平和運動こそ、沖縄に求められている、歴史的な使命であると私は思うのです。
2005年12月24日
基地が無くなれば沖縄は破産する
沖縄における反基地運動が県民の総意であるように知事が述べ、マスコミも、基地縮小・撤去が県民全体の意思であるかの如く報道しているが、私にはそうとは思えない。基地のある市町村の政治家以外の住民の本当の声はむしろ、基地との共存を願う声が大多数だと思う。
そもそも「米軍基地は県民には過重負担」というマスコミの宣伝文句が嘘くさい。私は北谷町に住んでいるが、飛行機の爆音より、深夜の暴走族や右翼の街宣車の方が、よっぽどうるさく腹立たしい。もし、本当に、基地が肉体的精神的に耐え難い過重負担になっているなら、住民がどんどんこの地域から逃げて、誰も住まない場所になっているはずである。金武の伊芸区で「いつ弾が飛んでくるかもしれない。怖くて生活できない」という住民のコメントのたぐいを連日、マスコミが報じているが、私が住民なら、本当に命の危険がある場合には、一目散で逃げ出すはずである。多分、逃げ出さないのは、実はそれほどの危険性を感じていない証拠である。
金武町の広報紙に成人式のアンケートがあり、その中に「金武町に将来住みたいですか→いいえはH16年33%、H17年26%であったが、住みたくない理由として「基地があるから」は両年とも0人。また、金武町行政に期待すること→国際交流H16年22%,H17年24%、雇用確保H16年29%,H17年22%の結果であった。基地の町といわれる金武町で「国際交流」が何を意味するかは自明であろう。マスコミが作り上げた「基地の過重負担に苦しみ、基地撤去を求める住民」の虚像ぶりが露呈されている。
基地反対運動というのは、基地の過重負担への反感で成り立っているような運動ではない。
その地域の住民感覚とは無関係の、よそから来た平和運動家が、自分が平和主義者であることを誇示し、美化するための政治的プロパガンダか、あるいは彼らの主義貫徹による自己満足・裏返しとしての不平不満のはけ口にすぎない。政治家や公務員組合幹部が基地や県民を利用して、自分の票稼ぎや、組織固めのために利用しているのが実態である。辺野古沖に集まっている、基地反対運動家の8割は内地人を含めたよそ者であり、地域住民は、日当3000円で集められたエキストラ参加者である。新聞・TVで報じられる基地反対デモは、常に自治労・教職員組合などから動員された公務員関係者で占められ、その人数も主催者発表として2倍から3倍も水増しされているのが実態である。普通の住民が何も意思表示しないのを尻目に、彼らはいかにも自分たちが県民の指導的立場にあり、県民の代表者であるかのようにふるまっているだけである。実際に現地取材している記者はこの事実を知っているが、紙面やTVでは絶対に表現できない。地方紙が実はオーナーの主義を宣伝するための媒体にすぎないことは、元上毛新聞記者の横山秀夫氏が「クライマーズ・ハイ」で描いている。沖縄のマスコミはうのみにすると危険である。残念ながら、沖縄県民自身がそのことに気づいていない。
基地経済が沖縄経済にどれほどの影響があるかを、政治家もマスコミも県民にヒタ隠しにしている。
沖縄県は自主財源が25%しかない全国一の弱体経済県である。つまり、国の補助金と借金で県経済はかろうじて生計をたてているのである。さらに、三位一体改革の補助金減らしの嵐の中で沖縄は破産の危機に瀕している。このような危機的状況を県民に広報せず、あまつさえ、県は軍関係収入は県全体の5%に過ぎないと公言している。その内訳は軍用地料880億、軍雇用員給与460億、軍関係消費500億である。
この5%には基地による公共工事や高率補助金などが含まれていない。また、民間地域にある外人住宅の建設・維持費も含まれていない。たとえば、北谷町内(基地外)のすべての4階建て以上のマンションのうち、8割以上は外人住宅で占められていることを県民は知っているだろうか?この米軍住宅に備えられる、システムキッチン、洗濯機・乾燥機・大型冷蔵庫・エアコンなどの備品類も相当な金額であろう。これらの建設費・維持費・設備費は通常の日本人同士の取引なので5%の軍関係消費には含まれていない。軍関係収入(5%)に計上されているのは、家賃とタクシー代や中古車購入代金・飲食代など軍人の直接支払い分でしかない。基地外の米軍住宅は4000戸とも言われ、この住宅関連支出が相当な金額であり、しかも、この住宅が資本形成として、多くの関連産業の副次的な支出も生み出していることも忘れてはならない。(修繕業者・仲介業者・電気など設備業者、融資先銀行...)
いずれにせよ、5%どころではなく、実態と大きく食い違っている。
さらに、県民に広報されないが、那覇ぶんかてんぶす、沖縄こどもの国(こども未来館)、北谷ニライセンター、嘉手納水釜町営住宅、嘉手納町マルチメディアセンター、沖縄市コザミュージックタウンなど、これらは基地関連の国庫予算で建設されている。
防音工事のように基地との関連が明らかな公共工事以外にも、多くの基地関連予算があることを県民には知らされていない。
特に沖縄にとって大事な収入が軍用地料850億である。この軍用地料の850億という金額は、経費が固定資産税以外かからない金額なので、実質的には、その10倍程度つまり8500億の重みがあり、県全体の観光収入4000億など比較にならない高額なのである。実は沖縄企業の所得申告で第1位は沖縄電力の144億であり、以下100位までの全企業の所得合計ですら830億にしかならない。沖縄の上位100社全部集まっても、軍用地料分すら稼げない。それが沖縄経済の実態である。ちなみに、プロミスというサラ金会社の所得(利益)は、880億であり、プロミスは全国36位の番付である。沖縄の産業基盤の弱さを改めて実感できるだろう。
さらに付け加えると、軍用地が沖縄の民間資本形成にどれだけの比重を占めているかも大事である。
たとえば、沖縄でレストランを建設・開業した人の、その元手や建築借入金の担保の原資は何であろう。銀行を調査すれば分かることだが、沖縄の中小・個人事業の資本形成に軍用地が関わっている比率は極めて高く、軍用地に依存した経済構造が既に出来上がっている。
もし、軍用地資本が減耗すれば、新たな事業形成が絶たれるだけでなく、軍用地担保貸付(その総額は計り知れない巨額であろう)が一挙に不良債権化し、中小・個人事業の倒産が相次ぎ、銀行ですら経営破たんに陥るだろう。事業資金だけでなく、無論、個人の住宅資金の原資ともなっている。
建築などへの資本投下は10年超えの償還を前提にしており、その前提の上に多くの関連産業が成り立っているのである。これらの資本の不良化の影響は連鎖的に横に広がり、縦には長期間の影響を及ぼし、致命的な打撃をもたらす。しかも打撃は民間だけではない。例えば、金武町の歳入に占める基地関連収入は、明確な直接収入だけでも35%あり、町税(事業・給与所得、固定資産税)の中に埋もれている基地関連収入分も合わせると40%は優に超えるはずである。
沖縄には日本の米軍基地の75%が集積していることは、たびたび報道されるので、よく耳にする。そして、それが著しく不公平だとマスコミが喧伝するのであるが、沖縄の高率補助金のことはどれだけ、知れ渡っているだろうか。
たとえば、道路保全に沖縄は国から95%の補助をうけるが、他府県は70%以下である。他の例を挙げると、学校建設整備では85%対50%、漁港整備は90%対66%、公営住宅建設75%対50%、水道施設整備75%対33%、空港整備95%対66%と続き、ほとんど全産業分野に及んでいる。
この高率補助は沖縄振興措置法によるものであり、県は表向き、基地があることのの見返りでないという立場であるが、本土復帰後33年経過した現在では、復帰直後の格差是正というより、どう見ても、基地対策費的な補助金であることは明白である。他府県から見れば、明らかに不公平なこの高率は基地の存在があるから許されているものであり、基地が撤去されれば、必ず、不公平との大合唱が沸き起こることは必至であろう。
補助率の削減は公共事業そのものの削減になり、多くの貧しい県民が生活苦にあえぎ、路頭に迷うことが確実である。負担軽減が目標のはずの基地返還は、実はより過酷な経済苦境という結果を確実にもたらすのである。
基地撤去を叫びデモ行進をする人々は、ほとんど自治労・教職員・出版労連など、日々の経済戦争と無縁で失業の心配もないノー天気で、県内の民間賃金水準の2倍以上の恵まれた高所得を得ている公務員関係労組員たちが大部分である。彼らの基地反対のシュプレヒコールは、中小零細の低賃金で細々と生計を立てている弱者の声を打ち消す、傲慢な、戦闘機以上の爆音の如く響く。
「基地を撤去すれば、その跡地に立派な商業施設ができ、基地より経済効果は大きい。基地があるのは、むしろ経済損失なのだ。」と主張する政治家や経済学者がいるが、とんでもない愚論である。その立派な商業施設とは、北谷町美浜地区や那覇市新都心地区を例にあげているのであるが、県民の購買力・資本力が乏しい中で、多くの地区が同時に発展できるなど有り得ない話である。そのような主張は、ねずみ講・マルチ商法の詐欺師の「どんどん会員が増えても破綻しない」というだましの詭弁以外何ものでもない。
成功している跡地利用でも20年以上の歳月と、莫大な資本投下が必要だったことを思い知るべきである。沖縄には遊休地・工業用地・住宅分譲用開発地区が今でもたくさんある。どんなに企業誘致を宣伝しても、さらには法人税の減免などを行っても、参加企業が集まらず、失業者を救えていないのが今の現実なのである。豊崎プロジェクトや糸満市潮崎埋立地などの住宅分譲も空き地ばかりが目立っている。
しかも、最近の傾向として、本土業者が大規模な不動産事業を展開し、沖縄人の古い物件を駆逐する勢いとなっている。飲食店・小売店でも本土系のチェーン店が県人経営者を圧迫している。折角の沖縄の開発予算が県外事業者のために使われ、県民は低賃金の労働者となって、彼らのおこぼれに甘んじるしかないのだ。狭い県内のパイですら、県外企業から侵食されようとしていて、皮肉にも県内大規模プロジェクトがその契機とさえなっている。
逆に基地がいかに魅力的な就職先と県民に映っているかは、軍雇用員の募集倍率が20倍を超え、その専門予備校すら複数あることでも明らかである。基地が嫌われ者だった戦後から60年を経過し、基地を有用な語学習得の場・国際理解の場と考える機運が育ちつつある。この芽を軍雇用員8000人とともに摘んでしまってよいのであろうか。
跡地利用の目途もないまま、基地が返還されたらどうなるか?管理できない不動産はあっという間に荒れ果て、生活困窮者ややくざが住み着き、犯罪のたまり場と化し、だれも近寄れない、それこそ基地以上に怖いゴーストタウンになるであろう。大量の空き地ができるため、一般の土地価格が暴落し、担保価値も下落し、不良債権化が拡大し、一層の経済悪化を招くであろう。さらには、泡瀬埋め立てをめぐる騒動のように、跡地利用について、さまざまな圧力と横槍とが入り、計画そのものが夢物語で終わるかもしれない。
基地は存在しているがゆえに、その基地が担保となり、補助金なり補償金が保証されるのである。一旦、返還されてしまえば、担保が無くなってしまうのである。「返還後は跡地利用に補助金支給をします」と約束させても、担保がない約束などあてにできるだろうか?
言葉は悪いが、基地は沖縄にとって大事な人質である。国が本当に目論んでいるのは、基地を国有地の北部に移し、中南部の軍用地料をはじめとする基地関連経済負担を軽減することである。
国の経済負担軽減なのであって、沖縄の負担軽減なのではない。グアムに1兆円を投じて基地を移設すれば、中南部に毎年2000億を支払う5年分で済むから、安上がりと国は算段しているに違いない。
基地が返還されれば、確かに爆音が聞こえない静寂な地域が取り戻せるであろう。しかし、その静寂は経済的な破滅死が蔓延する暗澹たる静寂に他ならない
そもそも「米軍基地は県民には過重負担」というマスコミの宣伝文句が嘘くさい。私は北谷町に住んでいるが、飛行機の爆音より、深夜の暴走族や右翼の街宣車の方が、よっぽどうるさく腹立たしい。もし、本当に、基地が肉体的精神的に耐え難い過重負担になっているなら、住民がどんどんこの地域から逃げて、誰も住まない場所になっているはずである。金武の伊芸区で「いつ弾が飛んでくるかもしれない。怖くて生活できない」という住民のコメントのたぐいを連日、マスコミが報じているが、私が住民なら、本当に命の危険がある場合には、一目散で逃げ出すはずである。多分、逃げ出さないのは、実はそれほどの危険性を感じていない証拠である。
金武町の広報紙に成人式のアンケートがあり、その中に「金武町に将来住みたいですか→いいえはH16年33%、H17年26%であったが、住みたくない理由として「基地があるから」は両年とも0人。また、金武町行政に期待すること→国際交流H16年22%,H17年24%、雇用確保H16年29%,H17年22%の結果であった。基地の町といわれる金武町で「国際交流」が何を意味するかは自明であろう。マスコミが作り上げた「基地の過重負担に苦しみ、基地撤去を求める住民」の虚像ぶりが露呈されている。
基地反対運動というのは、基地の過重負担への反感で成り立っているような運動ではない。
その地域の住民感覚とは無関係の、よそから来た平和運動家が、自分が平和主義者であることを誇示し、美化するための政治的プロパガンダか、あるいは彼らの主義貫徹による自己満足・裏返しとしての不平不満のはけ口にすぎない。政治家や公務員組合幹部が基地や県民を利用して、自分の票稼ぎや、組織固めのために利用しているのが実態である。辺野古沖に集まっている、基地反対運動家の8割は内地人を含めたよそ者であり、地域住民は、日当3000円で集められたエキストラ参加者である。新聞・TVで報じられる基地反対デモは、常に自治労・教職員組合などから動員された公務員関係者で占められ、その人数も主催者発表として2倍から3倍も水増しされているのが実態である。普通の住民が何も意思表示しないのを尻目に、彼らはいかにも自分たちが県民の指導的立場にあり、県民の代表者であるかのようにふるまっているだけである。実際に現地取材している記者はこの事実を知っているが、紙面やTVでは絶対に表現できない。地方紙が実はオーナーの主義を宣伝するための媒体にすぎないことは、元上毛新聞記者の横山秀夫氏が「クライマーズ・ハイ」で描いている。沖縄のマスコミはうのみにすると危険である。残念ながら、沖縄県民自身がそのことに気づいていない。
基地経済が沖縄経済にどれほどの影響があるかを、政治家もマスコミも県民にヒタ隠しにしている。
沖縄県は自主財源が25%しかない全国一の弱体経済県である。つまり、国の補助金と借金で県経済はかろうじて生計をたてているのである。さらに、三位一体改革の補助金減らしの嵐の中で沖縄は破産の危機に瀕している。このような危機的状況を県民に広報せず、あまつさえ、県は軍関係収入は県全体の5%に過ぎないと公言している。その内訳は軍用地料880億、軍雇用員給与460億、軍関係消費500億である。
この5%には基地による公共工事や高率補助金などが含まれていない。また、民間地域にある外人住宅の建設・維持費も含まれていない。たとえば、北谷町内(基地外)のすべての4階建て以上のマンションのうち、8割以上は外人住宅で占められていることを県民は知っているだろうか?この米軍住宅に備えられる、システムキッチン、洗濯機・乾燥機・大型冷蔵庫・エアコンなどの備品類も相当な金額であろう。これらの建設費・維持費・設備費は通常の日本人同士の取引なので5%の軍関係消費には含まれていない。軍関係収入(5%)に計上されているのは、家賃とタクシー代や中古車購入代金・飲食代など軍人の直接支払い分でしかない。基地外の米軍住宅は4000戸とも言われ、この住宅関連支出が相当な金額であり、しかも、この住宅が資本形成として、多くの関連産業の副次的な支出も生み出していることも忘れてはならない。(修繕業者・仲介業者・電気など設備業者、融資先銀行...)
いずれにせよ、5%どころではなく、実態と大きく食い違っている。
さらに、県民に広報されないが、那覇ぶんかてんぶす、沖縄こどもの国(こども未来館)、北谷ニライセンター、嘉手納水釜町営住宅、嘉手納町マルチメディアセンター、沖縄市コザミュージックタウンなど、これらは基地関連の国庫予算で建設されている。
防音工事のように基地との関連が明らかな公共工事以外にも、多くの基地関連予算があることを県民には知らされていない。
特に沖縄にとって大事な収入が軍用地料850億である。この軍用地料の850億という金額は、経費が固定資産税以外かからない金額なので、実質的には、その10倍程度つまり8500億の重みがあり、県全体の観光収入4000億など比較にならない高額なのである。実は沖縄企業の所得申告で第1位は沖縄電力の144億であり、以下100位までの全企業の所得合計ですら830億にしかならない。沖縄の上位100社全部集まっても、軍用地料分すら稼げない。それが沖縄経済の実態である。ちなみに、プロミスというサラ金会社の所得(利益)は、880億であり、プロミスは全国36位の番付である。沖縄の産業基盤の弱さを改めて実感できるだろう。
さらに付け加えると、軍用地が沖縄の民間資本形成にどれだけの比重を占めているかも大事である。
たとえば、沖縄でレストランを建設・開業した人の、その元手や建築借入金の担保の原資は何であろう。銀行を調査すれば分かることだが、沖縄の中小・個人事業の資本形成に軍用地が関わっている比率は極めて高く、軍用地に依存した経済構造が既に出来上がっている。
もし、軍用地資本が減耗すれば、新たな事業形成が絶たれるだけでなく、軍用地担保貸付(その総額は計り知れない巨額であろう)が一挙に不良債権化し、中小・個人事業の倒産が相次ぎ、銀行ですら経営破たんに陥るだろう。事業資金だけでなく、無論、個人の住宅資金の原資ともなっている。
建築などへの資本投下は10年超えの償還を前提にしており、その前提の上に多くの関連産業が成り立っているのである。これらの資本の不良化の影響は連鎖的に横に広がり、縦には長期間の影響を及ぼし、致命的な打撃をもたらす。しかも打撃は民間だけではない。例えば、金武町の歳入に占める基地関連収入は、明確な直接収入だけでも35%あり、町税(事業・給与所得、固定資産税)の中に埋もれている基地関連収入分も合わせると40%は優に超えるはずである。
沖縄には日本の米軍基地の75%が集積していることは、たびたび報道されるので、よく耳にする。そして、それが著しく不公平だとマスコミが喧伝するのであるが、沖縄の高率補助金のことはどれだけ、知れ渡っているだろうか。
たとえば、道路保全に沖縄は国から95%の補助をうけるが、他府県は70%以下である。他の例を挙げると、学校建設整備では85%対50%、漁港整備は90%対66%、公営住宅建設75%対50%、水道施設整備75%対33%、空港整備95%対66%と続き、ほとんど全産業分野に及んでいる。
この高率補助は沖縄振興措置法によるものであり、県は表向き、基地があることのの見返りでないという立場であるが、本土復帰後33年経過した現在では、復帰直後の格差是正というより、どう見ても、基地対策費的な補助金であることは明白である。他府県から見れば、明らかに不公平なこの高率は基地の存在があるから許されているものであり、基地が撤去されれば、必ず、不公平との大合唱が沸き起こることは必至であろう。
補助率の削減は公共事業そのものの削減になり、多くの貧しい県民が生活苦にあえぎ、路頭に迷うことが確実である。負担軽減が目標のはずの基地返還は、実はより過酷な経済苦境という結果を確実にもたらすのである。
基地撤去を叫びデモ行進をする人々は、ほとんど自治労・教職員・出版労連など、日々の経済戦争と無縁で失業の心配もないノー天気で、県内の民間賃金水準の2倍以上の恵まれた高所得を得ている公務員関係労組員たちが大部分である。彼らの基地反対のシュプレヒコールは、中小零細の低賃金で細々と生計を立てている弱者の声を打ち消す、傲慢な、戦闘機以上の爆音の如く響く。
「基地を撤去すれば、その跡地に立派な商業施設ができ、基地より経済効果は大きい。基地があるのは、むしろ経済損失なのだ。」と主張する政治家や経済学者がいるが、とんでもない愚論である。その立派な商業施設とは、北谷町美浜地区や那覇市新都心地区を例にあげているのであるが、県民の購買力・資本力が乏しい中で、多くの地区が同時に発展できるなど有り得ない話である。そのような主張は、ねずみ講・マルチ商法の詐欺師の「どんどん会員が増えても破綻しない」というだましの詭弁以外何ものでもない。
成功している跡地利用でも20年以上の歳月と、莫大な資本投下が必要だったことを思い知るべきである。沖縄には遊休地・工業用地・住宅分譲用開発地区が今でもたくさんある。どんなに企業誘致を宣伝しても、さらには法人税の減免などを行っても、参加企業が集まらず、失業者を救えていないのが今の現実なのである。豊崎プロジェクトや糸満市潮崎埋立地などの住宅分譲も空き地ばかりが目立っている。
しかも、最近の傾向として、本土業者が大規模な不動産事業を展開し、沖縄人の古い物件を駆逐する勢いとなっている。飲食店・小売店でも本土系のチェーン店が県人経営者を圧迫している。折角の沖縄の開発予算が県外事業者のために使われ、県民は低賃金の労働者となって、彼らのおこぼれに甘んじるしかないのだ。狭い県内のパイですら、県外企業から侵食されようとしていて、皮肉にも県内大規模プロジェクトがその契機とさえなっている。
逆に基地がいかに魅力的な就職先と県民に映っているかは、軍雇用員の募集倍率が20倍を超え、その専門予備校すら複数あることでも明らかである。基地が嫌われ者だった戦後から60年を経過し、基地を有用な語学習得の場・国際理解の場と考える機運が育ちつつある。この芽を軍雇用員8000人とともに摘んでしまってよいのであろうか。
跡地利用の目途もないまま、基地が返還されたらどうなるか?管理できない不動産はあっという間に荒れ果て、生活困窮者ややくざが住み着き、犯罪のたまり場と化し、だれも近寄れない、それこそ基地以上に怖いゴーストタウンになるであろう。大量の空き地ができるため、一般の土地価格が暴落し、担保価値も下落し、不良債権化が拡大し、一層の経済悪化を招くであろう。さらには、泡瀬埋め立てをめぐる騒動のように、跡地利用について、さまざまな圧力と横槍とが入り、計画そのものが夢物語で終わるかもしれない。
基地は存在しているがゆえに、その基地が担保となり、補助金なり補償金が保証されるのである。一旦、返還されてしまえば、担保が無くなってしまうのである。「返還後は跡地利用に補助金支給をします」と約束させても、担保がない約束などあてにできるだろうか?
言葉は悪いが、基地は沖縄にとって大事な人質である。国が本当に目論んでいるのは、基地を国有地の北部に移し、中南部の軍用地料をはじめとする基地関連経済負担を軽減することである。
国の経済負担軽減なのであって、沖縄の負担軽減なのではない。グアムに1兆円を投じて基地を移設すれば、中南部に毎年2000億を支払う5年分で済むから、安上がりと国は算段しているに違いない。
基地が返還されれば、確かに爆音が聞こえない静寂な地域が取り戻せるであろう。しかし、その静寂は経済的な破滅死が蔓延する暗澹たる静寂に他ならない